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光岡の1人乗り原付カーがクラシックカーみたい!「BUBU 505-C」の元ネタは戦前のジャガー「SS100」でした【マイクロカー図鑑】

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TEXT: 長尾 循(NAGAO Jun)  PHOTO: 近藤浩之/光岡自動車

原付カーからクラシカル普通車への光岡の過渡期を物語る

1985年に新たに施行された道路交通法によって、原付カーを運転するにはそれまではの原付免許ではなく普通免許が必要となった。結果的に簡便な原付カーのメリットがひとつ減った形だが、この1985年の法改正を機に光岡自動車は普通車のレプリカの開発に着手する。

1987年にはメルセデス・ベンツ「SSK」を連想させるフォルクスワーゲン「ビートル」ベースの「BUBUクラシックSSK」を発売。これが今につながる光岡ビュートや「ガリュー」、「ゼロワン」などに連なるレプリカ風普通車のルーツといえよう。

その一方で、同社はこの頃から原付カーのマーケットからは徐々に撤退していくこととなる。つまり1985年に誕生したBUBU 505-Cは、光岡自動車が「軽便な原付カー・メーカー」から、「クラシカルな独自デザインのクルマを好事家に向けけてリリースする自動車メーカー」への移行期に生み出された、同社の歴史の分岐点に位置する1台といえる。

マイクロカーの中でも難易度の高い1台

このBUBU 505-Cのオーナーは水口 雪さん。若い頃から乗り物全般が好きだったというが、とくに小さなクルマには目がないそう。この他にも多数の原付カーなどを所有する熱心な「小さいクルマ・コレクター」で、本職は動物病院のお医者さんである。

それまでのBUBUシリーズ各車とは一転、洒落のわかるオトナ向けの高級原付カーとして生まれたBUBU 505-Cは発表当時の価格は100万円越え。その生産台数は限定500台とリリースされたが、実際に販売されたのは300台強と言われる。

商業的には決して成功とは言えなかったが、その存在意義は決して小さくなかったジャガーSS100風レプリカ原付カー、BUBU 505-C。

「先日も光岡に電話して505-Cについて問い合わせたものの、資料ゼロ、パーツ在庫はゼロとの回答でした。マイクロカーを選ぶ皆さんの間でも、505-Cは難易度が高いので有名です(パーツ買えない、資料がない、数が少ない)。それでもこのデザインでいまだにファンが多いのは間違いないようです」

と水口さんは教えてくれた。今なお中古車市場にはときおり505-Cの売り物が現れ、マニアの間ではカルト的な人気があるようである。

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  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 1962年生まれ。デザイン専門学校を卒業後、エディトリアル・デザイナーとしてバブル景気前夜の雑誌業界に潜り込む。その後クルマの模型専門誌、自動車趣味誌の編集長を経て2022年に定年退職。現在はフリーランスの編集者&ライター、さらには趣味が高じて模型誌の作例制作なども手掛ける。かつて所有していたクラシック・ミニや二輪は全て手放したが、1985年に個人売買で手に入れた中古のケーターハム・スーパーセブンだけは、40年近く経った今でも乗り続けている。
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