メルセデス・ベンツ先駆者達の名言集
メルセデス・ベンツブランドの礎を築いてきた先駆者達が発した言葉を名言集としてまとめてみました。今回はこの先駆者達が発した言葉に現れているメルセデス・ベンツのクルマ造りに対する「情熱・信念」とその奥深い意味を紹介します。
キーマンたちが残した言葉は現代にも受け継がれている
メルセデス・ベンツの先進的な技術、長年の経験と開発を重ねた安全性と機能性、高い品質、優雅なスタイリング。しかし、それだけでは「メルセデス・ベンツの価値」を物語ることはできない。それらの価値を開発し、製品として作り上げ、ユーザーへ届ける英知の魂があるからこそ、「メルセデス・ベンツブランド」としてユーザーが認めていると言える。
そして、これらを成し遂げてきたゴットリーブ・ダイムラーのモットーである「最善か無か」に基づくメルセデス・ベンツ先駆者達のクルマ造りに対する「情熱・信念」こそが、メルセデス・ベンツブランドの礎を築いてきたことを忘れてはならない。
Gottlieb Daimler(ゴットリーブ・ダイムラー:1834年〜1900年)
「最善か、無か!」
「自動車の発明者」であり、メルセデス・ベンツ生みの親の1人。1834年3月17日に、南ドイツのヴュルテンベルグ王国・ショーンドルフに生まれ、幼い頃から機械好きで、シュツットガルトの高等工業学校に進学する。エンジニアとなってからは、1875年世界初の4サイクル・エンジンの運転実験に成功。これを受けて自身の研究所を設立し、自動車の開発をスタートした。
1885年に「世界初の2輪車(オートバイ)」、1886年には「世界で最初にガソリン・エンジン付きの自動車(4輪車)」を発明したことは周知の通りである。
彼は知性豊かでウィットに富み、3カ国語を話し、決断をせまられると非常に簡単ながら含みのある言葉を述べる人物であった。それは、彼のモットーである「最善か無か」である。
彼のこの言葉が「メルセデス・ベンツクルマ造りの哲学」の中核となっている。最善を尽くさなければ無と同じで、中途半端なものは存在しない。即ち、工場の門を出るいかなるものも、品質と安全においてすべて最高の基準まで進歩したものにするという清廉な意志を持ち続けることを意味している。
Karl Benz (カール・ベンツ:1844年〜1929年)
「私は何よりも情熱を注いでいるものは発明である。その情熱は決して冷めることはない!」
「自動車の発明者」であり、メルセデス・ベンツ生みの親の1人。1844年11月25日に、バーデン大公国ミュールドルフに生まれ、当時の花形職業であった鉄道機関士の父をみて、エンジニアを志す。地元カールスルーエの工業高校で内燃機関を学んだ後、2サイクル・エンジンを完成させる。
そして、カール・ベンツは先述のゴットリーブ・ダイムラーと時を同じくして、1886年に「世界で最初にガソリン・エンジン付きの自動車(3輪車)」を発明したのである。
カール・ベンツもまた、ゴットリーブ・ダイムラーと同じく想像力に富み、将来に向けて信念を抱いた人であり、彼独自のクルマ造りの考えを持っていた。彼は「常に進歩、前進」を押し出していたが、「軽率」を何よりも嫌っていた。ベンツは方針の違うパートナーとは徹底的に議論し、たとえ彼自身の方針の為に商売上、リスクを冒すことになろうと志を曲げるようなことはなかった。テストを100%パスしなかったものを売るなどということは、考慮に値しないことであった。
Bela Barenyi (ベラ・バレニー:1907年〜1997年)
「これで完璧。などというものは存在しないのではないかと私は考えている。何故なら、絶えず新しいやり方、新しい解決方法を模索しているからだ!」
メルセデス・ベンツ在籍34年の期間を通じて、「約2500件もの特許」を取得し、さまざまな安全技術を開発。パッシブ・セーフティ(受動的安全)という概念を生み出し、「メルセデス・ベンツ=安全」という評価を確立する。その功績により「ミスター・セーフティ」と呼ばれ、世界の自動車業界から敬われた。
彼にとって、「自動車はまず安全な乗り物」でなければならず、それこそが終始一貫した彼の設計の基本であった。1939年、ダイムラー・ベンツ社に37歳で入社すると同時に、世の中にまだ概念すらなかった「自動車の安全性の研究」に着手し、自動車が人間を傷つけることなど耐え難く、絶えず「エンジンよりも先に人間」をモットーに新しい解決策を考え、数々の安全技術を開発した。
彼は、安全性向上の多大な功績によって、1994年自動車業界で最高の栄誉であるアメリカの「自動車の殿堂」入りを果たしている。