TSからシルエットフォーミュラ、そしてRX-7に
サバンナRX-3が強すぎたことで参加台数も減少傾向にあったST>レースですが、これを再び盛況化させるべく、主催者は1979年シーズンからST>レースをスーパー・シルエット(SS)として再スタートさせることになりました。当時、世界的にも隆盛の様相を呈していたシルエットフォーミュラ(グループ5)カテゴリーの規定を導入することになったのです。
といっても、当時の国内には純粋なグループ5カテゴリーの競技車両などはなく、プライベーターがサバンナRX-3に、2代目ルーチェのGTシリーズに搭載されていた654cc×2ローター(1308cc。ロータリー換算で2616cc)の13Bエンジンを搭載。より太いタイヤを装着するためにより大きく、エアロ効果を持たせたオーバーフェンダーやエアロパーツを組み込んだ“お手製”のグループ5車両が続々と登場してきました。その真打と呼ぶべきマシンは、この年からマツダスピードを名乗るようになったマツダオート東京が1977年に製作したサバンナRX-3 251です。
ネーミングの由来はツーリングカー(グループ2)をベースにシルエット・フォーミュラ(グループ5)に仕立てた第一世代、を意味しています。マツダスピードとしては、ル・マン24時間レースに再びチャレンジするための習作だったのですが、TS仕様、つまりSTレースなどに参戦していた車両をもとに、フロントのオーバーフェンダーと一体式のノーズカウルとリアのオーバーフェンダー、そしてリアウイングと垂直尾翼などのエアロパーツを自製して組み立て、300psを発生する機械式インジェクション仕様の13Bエンジンに換装して1977年7月の富士500kmでデビューしています。
この時は冷却系のトラブルからオーバーヒートでリタイアとなっていましたが、同年12月に行われた富士500マイルでは堂々6位入賞を果たし、RX-7をベースとしたマツダRX-7 252iへと発展。1979年のル・マン24時間に再チャレンジすることになりました。その後、国内レースにおいてサバンナRX-3は、プライベート主体で1980年代序盤まで活躍しましたが、次第にサバンナRX-7に置き換えられ、RX-3は姿を消していったのです。
そんなプライベートのレース活動を支援してきたのがマツダスピード(旧マツダオート東京モータースポーツ課)でした。マツダのスポーツコーナーとしてマツダオート東京に設置されたのは1968年のこと。それ以降ファミリアプレスト・ロータリークーペからカペラ、サバンナ、サバンナRX-3、サバンナRX-7。車種は変われどプライベートドライバーを支援しながら、それと並行してグループ5の25Xシリーズ、そしてグループCカーによる1991年のル・マン優勝まで、マツダ・ワークスと共に戦っていきました。
まだマツダスピードを名乗る前の1976年には、前年までのカラーリングを一新。ホワイトボディのノーズからサイドボディにかけてレッド&ブルーのストライプが走り、サイドビューでは赤いストライプがマツダオート東京(モータースポーツ課)のMをあしらったデザインは、以後彼らのステイタスとしてサーキットに彩を添えることになり、RX-3 251もこのカラーリングで登場していました。
今回の6号車は、このマツダオート東京のカラーリングを忠実に再現。当時を知るファンからは温かな歓声が聞こえていました。