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アドバンカラーのポルシェ「962C」がFSWを走った! 高橋国光選手がタイトルを獲得したマシンそのものでした

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/佐藤正勝/宮越孝政/佐藤亮太

  • コクピット、ハンドルの左手方向には各種のスイッチと調整ノブが備わっている。耐久レースではドライバーの仕事が「多岐」に渡ることが容易に想像できる
  • 富士スピードウェイを快走する1989年JSPCチャンピオンカーのポルシェ962C
  • 富士スピードウェイを快走する1989年JSPCチャンピオンカーのポルシェ962C
  • 富士スピードウェイを快走する1989年JSPCチャンピオンカーのポルシェ962C
  • 956に比べてフロントホイールが120mm前進しノーズ形状も異なるとされるが、一見しただけでは判別が難しい
  • 962Cのリア・ディフューザー。細い翼形断面のサスペンションアーム以外に空気の流れを遮るものはない
  • フラット6エンジンのためにエンジンのハイトは高くないが、それでも補器類も多く、詰め込まれ「感」は高い
  • エンジンの左右にはインレット・エアの温度を下げるインタークーラーが抱えられている
  • エンジンルームを後方から見る。やはりフラット6のエンジン高が低いことには驚かされる
  • リアサスペンションはロッキングアーム式インボード・タイプ。アッパーアーム上にトラスが組まれてトップロッカーを形成する
  • トップロッカーを前方より見る。トラスには補強パネルが溶接されているのが分かる
  • リアのアンダーフロアにディフューザーを設けるために、フラット6エンジンは少し前傾してマウントされているが、エンジンヘッドの傾きでそれがよく分かるカットだ
  • コクピットの左右後方、インテークの整流版の下にはラジエターが顔を覗かせている
  • ワイパーはシングルアームだがブレードの角度を効率的にコントロールするリンク式となっている
  • ホイールはアルミ製の3ピース式。956が前後16インチだったのに対して962Cでは17インチ/19インチへと大径化されている
  • バックミラーはサイドウインドウフレーム(ドアフレーム)の高い位置にマウントされている
  • 同じくバックミラーを前方から見る。リアカウルとウイングの間から後方を確認するためには、これがベストな取り付け位置なのだろう
  • 富士スピードウェイを快走する1989年JSPCチャンピオンカーのポルシェ962C
  • ポルシェ962Cのリアビュー。高い位置にウイングが着くのは、ハイ・ダウンフォース仕様の証だ
  • ピットに佇むポルシェ962C。後方のマツダ737Cと同様に、グループCの時代を現実に生き抜いた個体だ
  • スパ-フランコルシャンのサーキット博物館で出会った917。ガルフカラーは1970年シーズンの正装だが、テール中央のウィングは1970年シーズンには禁止されていたはずで、少し疑問の残るいでたちだ
  • 富士スピードウェイを快走する1989年JSPCチャンピオンカーのポルシェ962C

1989年にシリーズタイトルを獲得したマシンが走った!

2023年10月29日に富士スピードウェイで開催された「箱車の祭典2023」。純レーシングマシンから市販車ベースのレーシングカーまでエントリーした。今回はその中から、ポルシェ「962C」を紹介する。

スポーツカーレースにおける主役を務めてきたポルシェ

世界スポーツカー選手権(WSC)は文字通り、国際自動車連盟(FIA)によって制定されたスポーツカーによる耐久レースの世界選手権で、1953年から行われてきました。1950年に始められていたF1世界選手権がレーシング・フォーミュラのトップカテゴリーであるF1を使用したドライバーの世界選手権であったのに対してWSCは車両を製造するマニュファクチャラー(メーカー)のための選手権でした。

そして使用される競技車両もスポーツカーの世界選手権を名乗りながらも、その「スポーツカー」の定義が幾度となく変更されたばかりか、スポーツカーを脇役にしてレーシング・プロトタイプが主役となった時代もありました。そうした歴史の中で1960年代から注目を集めてきたメーカーがドイツのポルシェでした。

当初は市販車である「356」に搭載されていた2L水平対向4気筒エンジンや「911」の2L水平対向6気筒を使用して、GTカーやスポーツカーで2L以下のクラスで活躍を続けていたポルシェ。1968年には3L水平対向8気筒エンジンを搭載した「908」を開発したのを皮切りに、1969年には4.5L 180度V型12気筒を搭載する「917」を投入して総合優勝を狙う存在となり、結果的に王座をほしいままにするまでになっていました。

スピードが上昇し過ぎるとともにメーカーにとっても車両開発のコスト負担が厳しくなるとの理由から、FIAは1972年に、それまで選手権の主役を務めてきた5Lまでのスポーツカーに代わって3L以下のプロトタイプ・スポーツを主役に据えることを決定。

917が締め出されることとなったポルシェは、FIAの選手権を離れ、北米で開催されていたスポーツカーレースの選手権、Can-Amシリーズに参戦することになったのですが、ここで大排気量のアメリカンV8パワーに対抗するためにターボチャージャーの開発に注力しています。

そして1972年と1973年の2シーズンでシリーズを席巻するとともに、レーシングカーにおけるターボのノウハウを蓄積してCan-Amを去り、1974年からは再びFIAのスポーツカー選手権(このシーズンは前年までの国際メーカー選手権から世界メーカー選手権に名称が変更されていました)にワークスチームとしてカムバックすることになりました。

前年にデビューさせたポルシェ「カレラRSR」にターボ・エンジンを搭載したポルシェ「カレラRSRターボ」が主戦マシンに選ばれ、マトラやミラージュ・フォード、アルファ ロメオといったオープン2シーターの純レーシングマシンに混じってシリーズ3位を得ています。

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