王者に就いたサニーの対抗馬として秘密兵器を搭載したスターレットが登場
カローラ/パブリカ軍団を蹴散らし、チェリー クーペとの同門対決も制したサニーにとって、1973年シーズンはまさにビクトリーロード。富士MTレースでは開幕から3連勝。さらに鈴鹿のスプリントレースや富士&鈴鹿の耐久レースでも、1300cc以下のツーリングカーでは多くの場合クラス優勝を飾っていました。
そんな状況下、シーズン最後の大舞台となった富士MTレースの最終戦、富士ビクトリー200kmに登場した刺客がトヨタ「スターレット」(KP47改)でした。3代目パブリカのクーペモデルとして同年に登場したスターレット(KP47)は、カローラ/スプリンターやパブリカのホットモデルと同様、1166ccの3Kエンジンを搭載していたのですが、ビクトリー200kmに登場したKP47改は、3Kエンジンにスポーツオプションだったツインカム16バルブヘッドを組み込んだ137Eエンジン、通称「3K-R」を搭載していました。
そもそも3K-Rエンジンは、同年から開催されるようになったFJ1300用に開発されたもので、1300cc以下のツーリングカーレースに使用されているエンジンの搭載が想定されていましたが、スポーツオプションの使用が禁止されたためにツーリングカーレースに投入されたという経緯がありました。しかしデビュー当時で最高出力は185psもあって、対戦相手となったサニーのA12エンジンが140ps程度であったために勝負とならず、関係者の間でも参加を疑問視する声も強くて翌1974年シーズンには出場していません。
ツーリングカーレースの檜舞台とされていた富士MTレースの1973年シーズン最終戦に華々しくデビューを飾り、翌1974年は参戦を休んだツインカム・スターレットは1975年シーズンにカムバックし富士MTレースを始めとするツーリングカーレースで数々の優勝を重ねてスポットを浴びています。じつはシングルカムの3Kエンジンを搭載したスターレットも富士MTレースに参戦していました。
デビューはツインカム・スターレットがデビューする1カ月半前のこと。同年の富士MTレースのシリーズ第4戦富士マスターズ250kmのサポートレースでした。TMSC所属の中村正和選手がドライブして予選19位、決勝レースではエンジントラブルからリタイアしていましたが、良い手ごたえを感じていたようです。
パブリカとカローラ/スプリンターの中間、少し後者よりの立ち位置でしたがトヨタがツインカム・スターレットの開発に注力していたために、KP47スターレットに搭載されていたシングルカム3Kのチューニングはプライベートチームのパブリカやカローラ/スプリンターと同様にTRDからリリースされていたスポーツキットを組み込むしかありませんでした。最高出力も130ps程度で185psを捻り出していた3K-Rを搭載したツインカム・スターレットはもちろん、絶対王者だったサニーやワークスのパブリカ、カローラ/スプリンターとの勝負には、最初から無理があったと言わざるを得ません。
ただし、3K-Rを搭載したツインカム・スターレットはもちろん、3K-R自体もプライベーターが気楽に手の出せる存在ではありませんでしたから、プライベーターがスターレットでレースするなら、3Kで戦うしかありません。しかし、KP47改で印象的だった空力効果を考えたブリスターフェンダーなど、ルックスは全く同様でした。
今回、2023年10月29日に富士スピードウェイで開催された「箱車の祭典2023」に参加したゼッケン40号車はそんな1台でした。オーナーの柳本さんは、ヒストリックカーレースで見かけて気に入り購入したとのことで、この個体がどんな歴史をたどってきたのかは不明ですが、気になるのはワイパーのピボット位置。右ハンドルのクルマなら2本のワイパー・ピボットはドライバーの正面近くとクルマのセンター部分にそれぞれ設けられていますが、ツインカム・スターレットは2本のワイパー・ピボットがセンター部分に少し間隔を空けて取り付けられていました。
今回のゼッケン40号車では、ツインカム・スターレットと同様にワイパー・ピボットがセンターに寄せて設けられており、車歴を辿っていくと、ワークスのツインカム・スターレットに関連してくるのでは? 鮮やかな深紅にペイントされたゼッケン40号車を見ていると、そんな妄想さえ搔き立てられてしまいました。機会があれば車歴を辿ってみたいと思わせる1台でした。