スパイカーの斬新さと伝統を表現していた1台
2024年1月25〜26日、RMサザビーズがアメリカ・アリゾナで開催したオークションにおいてスパイカー「C8スパイダー」が出品されました。今回はいくらで落札されたのか、同車について振り返りながらお伝えします。
第一次世界大戦が終了するとビジネスを停止した
ラテン語で「Nulla tenaci invia est via」(粘り強い者にとって、通れない道はない)という会社の哲学と、飛行機のプロペラを描いたエンブレムを持つ、オランダのスパイカー社。だが最初はこのエンブレムにプロペラの絵柄は存在していなかった。
なぜならヤコブス&ヘンドリック・スパイカー兄弟によって、ヒルフェルスムの地に設立されたスパイカー社がまずビジネスとしたのは、高品質な馬車の生産と販売であったからだ。
ベンツのエンジンを搭載した小型車が誕生したのは、彼らの創業からわずか18年後の1898年のことと解説すれば、スパイカーの歴史がいかに長いものであるのかも容易に理解できるだろう。
ちなみに当時のオランダ女王、イウェルヘルミナに豪華絢爛な馬車、「ゴールデンステートコーチ」を寄進したのもスパイカーであり、その姿は現在でも女王の公式行事で見ることができる、いわゆる第一級の格を持つ馬車である。
20世紀を迎えると、スパイカーは自動車の分野に進出を果たし、ここでも先進的な装備で大きな注目を得る。世界で最初に直列6気筒エンジンを搭載したグランプリ・レーサーには4WDや4輪ブレーキも採用され、1905年には北京・パリ間の1万マイルレースなどで活躍。見事に2位で完走を果たしている。
だが1914年になると、スパイカー社には新たな局面が訪れる。それは第一次世界大戦のため、航空機や航空機用エンジンを生産する必要性が生じたこと。ここでエンブレムにはプロペラの図柄が加えられ、スパイカーは第一次世界大戦中に100機の戦闘機と200基の航空機用エンジンを製作したと記録されている。
第一次世界大戦が終了すると、スパイカーは再び自動車の生産を開始し、「C4」では平均速度記録を樹立するなど、その技術的な優位性を再び世界に知らしめた。だが1925年、創立から45年となる年を迎え、スパイカーはおもに財政上の問題からなのだろう、すべてのビジネスを停止した。その名前は歴史の中に存在を残すのみとなってしまった。
走行距離は4211kmのワンオーナー車
そしてミレニアム・イヤーの2000年。我々は再びオランダから大きなニュースを受け取ることになる。それは第一期スパイカー社が消滅してから75年、新たにスパイカーカーズ社が誕生し、その復帰作となる「C8スパイダー」が発表されるというものだった。
正確にはこのオープン仕様のC8スパイダーのほかに、クーペボディの「C8ラビオレット」も同時にデビューを飾っているのだが、そのデザインはいずれも当時のスーパースポーツ群とは一線を画する、ノスタルジックな雰囲気を感じさせるものだった。
アルミニウム製のスペースフレーム構造を持ち、リアには「キャノンポート」と呼ばれる通気口とグリルインテークをアクセントに、さらに前後のホイールはプロペラ型のスポークを持つ「エアロブレード」ホイールが与えられた。
インテリアも特徴的なダッシュボード・フェイシアやバックライト付きのクロームメッキ・メーター、オープンシフトゲート、それに飛行機の計器盤を模したトグルスイッチの列などで、スパイカーの斬新さと伝統を表現していた。
ミッドに搭載されたエンジンは、アウディから供給を受けた4.2L仕様のV型8気筒で、最高出力は400ps。これに6速のゲトラグ製ミッションを組み合わせ、もちろん後輪を駆動する。サスペンションはダブルウイッシュボーン形式の完全独立型で、カスタマーのリクエストによってはレース仕様のセッティングを選ぶこともできた。そんなC8スパイダーの生産台数はわずか121台だった。
今回RMサザビーズ社のアリゾナ・オークションに出品されたモデルは、現在のオーナーがカリフォルニア州のスパイカー・オブ・シリコンバレーに新車でオーダーしたもの。ミッドナイト・ブルーにマグノリアのキルト・レザー・インテリアというオプション・カラーで仕上げられ、特徴的なターンド・アルミニウム・トリムとエアロブレード・ホイールも選択されている。
新車からの走行距離はわずか2632マイル(約4211km)。純正のツールキットや各種ドキュメントもすべてが揃った状態での出品だ。RMサザビーズ社のエスティメート、すなわち予想落札価格は30万〜40万ドル(邦貨換算約4425〜5900万円)。入札は最終的に40万1000ドル(同5920万円)に達し、売り手としても満足した結果となった。
見る者を魅了する素晴らしいスポーツカーであること、印象的なカラーリング、きわめて少ない走行距離、そしてワンオーナー車であったことなどが、その数字の理由になったようだ。