ランボルギーニの第一作「350GT」
アメリカでは、冬の避寒リゾート地として知られているアリゾナ州スコッツデール。およびその近隣の大都市フェニックスでは、毎年1月下旬に複数のオークションハウスが大規模なオークションを一堂に開催。その年のクラシックカー/コレクターズ市場を占う、年始の恒例イベントとなっています。なかでも、クラシックカー/コレクターズカーのオークションハウスとしては最大手と目されるRMサザビーズ北米本社がフェニックス市内で開催する「ARIZONA」は、規模・内容ともに、1月のアリゾナのオークション群の中でも最上級のものとして知られています。今回は2024年版の出品車両の中から、ランボルギーニの最初の市販車である「350GT」に着目し、そのモデル概要とオークションレビューをお届けします。
フェルッチオが目指したのは、独創的で上質なグラントゥリズモ
ランボルギーニ350GTは、「打倒フェラーリ」の旗印を掲げ、世界一のグラントゥリズモの製作を夢見た男、フェルッチオ・ランボルギーニが初めてこの世に送り出した生産モデル。そして、あらゆる点で当時のフェラーリを凌駕し、世界最高の超高級グラントゥリズモとなることを唯一最大の目的として結集した、この時代のイタリアの自動車産業における最高の頭脳の産物だった。
V型12気筒4カムシャフトのエンジンは、1961年末にフェラーリで発生した反乱に連座した結果、「マラネッロ宮廷」から追われたジョット・ビッザリーニが設計し、4輪独立懸架のシャシーは、若き日のジャン・パオロ・ダラーラが開発を担当した。
当時のフェラーリ製ストラダーレには依然として与えられていなかった、各バンクあたりDOHCのヘッド、後輪独立懸架などの先進的なメカニズムが贅沢に投入されるいっぽうで、クオリティには徹底的にこだわる社主フェルッチオの要求に応えて、あくまで上質を旨とするグラントゥリズモを目指していた。
ところが、まずは1963年に試作車「350GTV」としてショーデビューしたものの、フランコ・スカリオーネのデザインおよび「サルジョット」の架装による前衛的なボディ、そしてレーシングエンジン並みにピーキーなV12エンジンともに、フェルッチオを満足させるには至らなかった。そこで350GTでは、ボディワークを名門「トゥーリング・スーペルレッジェーラ」によって再デザイン。エンジンも350GTVの360psから270psまでディチューンしたうえで、より現実的なかたちで市販されることになった。
かくして、1964年3月のジュネーヴ国際モーターショーでデビューしたランボルギーニ350GTは大きな反響を呼ぶとともに、スペックとデザインの両方で印象的なスーパースポーツとして認知されることになる。
そして、1966年ごろまでに約130台が製作された(ほかに諸説あり)といわれるが、初期生産分の約80台は、トゥーリングが「スーペルレッジェーラ」工法で製作した総アルミ製ボディワークとともにデリバリーされたと考えられている。
ところが、スーペルレッジェーラはコストと時間がかかり、ランボルギーニにとっては大きな負担となったこと。さらに1960年代中盤以降、トゥーリング・スーペルレッジェーラ社は経営破綻状態となっていたため、後期のモデルではスチールボディに変更されたとのことである。
当然のことながら初期のアルミボディ車両は、よりピュアで希少価値も高く、それゆえ現在の市場価値も相対的に高いといわれている。