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フェラーリの約半値で買えた! アルファ ロメオ「ジュニア ザガート」はメカ泣かせなクルマでした【クルマ昔噺】

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁(NAKAMURA Takahiro)

  • コーダトロンカ(イタリア語で後ろが切り落とされた)ボディを採用したジュニア ザガート
  • ウェッジシェイプなデザインが特徴的だった
  • ジュニア ザガートは1969年にトリノーショーでデビュー
  • フロントのプレクシグラスのカバーの奥に4灯のヘッドライトが収まる
  • デザインは、ザガートのチーフスタイリストだったエルコーレ・スパーダだった
  • 生産期間はわずか7年と短く、1300と1600を合わせても生産台数は1510台

在籍中に一番距離を乗ったクルマだった

モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。第17回目は、並行輸入が解禁となった1972年(昭和47年)に乗ったアルファ ロメオ「ジュニア ザガート」を振り返ってもらいました。

中古フェラーリの半分の価格だったジュニア ザガート

1970年代の輸入車事情。それはもう今とは大違いであった。そもそも日本政府は戦後長年にわたって、完成自動車の輸入に厳しい制限を設け、同時に高い関税をかけていた。乗用車の輸入自由化が実現したのは昭和40年のこと。それでも高額関税は残ったままで、完全撤廃されたのは昭和53年のことだった。

それを遡ること5年、昭和47年には商標権に関わる真正商品の並行輸入について、関税局長通達が実施され、輸入差し止め制度が廃止された。これがいわゆる並行輸入が認められた時だった。それ以前は正規輸入代理店のみが輸入車を仕入れていた時代だが、今のように日本専用モデルなどあろうはずがなく、並行輸入が解禁となり正規代理店以外がクルマを輸入しても、その仕様は正規物と何一つ変わらなかった時代である。ただ、並行業者は正規代理店が輸入しない特殊なクルマを輸入することで独自性を出していた。それがスーパーカーブームに繋がるわけである。

僕がいた会社もまさにこのタイミングで商売がうまくいくようになった。それまで1台も売れなかったクルマがパカパカ売れだした。ほどなくして新たなクルマの仕入れが検討され、一気にかなりの数が入って来ることになったのである。

クルマは横浜の保税倉庫に取りに行く。その中にあったのが、アルファ ロメオ ジュニアザガートである。フェラーリやランボルギーニ、マセラティなど当時のスーパーカーを主として扱う会社だけに、ジュニア ザガートは新車でありながら価格的には中古フェラーリの半分程度。それでも当時のお金で280万円の正札が付いた。とはいえ当時ホンダ シビックが54万円で買えた時代だから、やはり高い。それでも会社の人間にしてみたらこれは松竹梅の梅のクルマなわけである。

横浜の保税倉庫から第三京浜を自走して環八沿いにあった展示場まで行くのに、このクルマの運転を命じられた。クラッチの重かったフェラーリやランボルギーニに比べたら楽なもんである。比較的とっつきやすい(価格的に)クルマだったからか、このクルマを見にくるお客さんは多かった。ウィキペディアでは新車は伊藤忠が少数輸入しただけとあるが、ジュニア ザガートを先に入れたのは僕のいる会社である。

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