日産チェリーX-1と走ったのはいい思い出
さて、僕の会社が入れたのは1300の方。1975年で生産が終了し、後半の生産は1600になっていたはずだが、1974年当時だったので1300ccが入ってきた。この1300と1600の違いはエンジンのほかに、外観上のリアオーバーハングの長さにある。個人的な意見だが、1600の方はオーバーハングが長く、何となくもっさりとして見える。そこへ行くと1300の方はまさに小股の切れ上がったという表現が相応しい、華奢でそれでいてなんとなく凛とした感じがとても好きだった。
そんなわけで、5台導入されたジュニア ザガートは比較的早いうちからお客さんが付いた。ところがやはり本当のお金持ちが買うわけではなく、ギリギリの好きものが買っていく。明らかにフェラーリなどの高級車とは客層が異なる。そして細かい。クルマ全体を子細に舐めるように眺め、あれこれと注文を付けて買っていくお客さんが多かった。
納車整備のため、等々力の展示場から芝浦の工場まで持って行くと、工場のメカニックたちは判で押したように、「こんなクルマにいちいちケチつけんじゃねぇよ」と文句を言った。実はこのクルマ、フロントのヘッドライトがアクリルでカバーされているのだが、それが跳ね石などでいとも簡単にひびが入る。それでお客さんはその交換を望むわけだが、それほど沢山のスペアパーツがあるわけではないし、それを交換したところでまたすぐに割れてしまうから、イタチゴッコが続くわけで、それに嫌気がさした結果の文句だったように思う。
トップスピードは決して速いわけではないし、軽いとはいえ所詮は1300ccのエンジンだから、性能的には知れている。まさに会社にとっても気を使うクルマではなかったから、当時営業所があった福岡に1台、展示のため送った。しかしながら結局売れることなく東京に戻ることになり、その戻す役目を仰せつかった。
生まれてはじめて行く九州。当時営業所にいた元陸自のごついお兄さんに案内してもらって、中洲の夜を楽しんだ。そして翌日は門司まで走ってそこからフェリーで大阪辺りまで(神戸だったかもしれない)。そして後は名神と東名をひたすら走って戻ってきた。だから、会社にあったクルマの中でもこのクルマは一番距離を乗っている。
季節はもう忘れたが比較的暑かった。そこでウインドウを開け、リアのテールゲートを電動で浮かせてエアを抜く。こうして通気を良くして暑さを凌ぐわけだ。もちろんエアコンなどついているはずもない。当時のザガート製アルファやランチアのテールゲートはこのように電動で少しだけ持ちあげる機構が備わっていた。
御殿場から大井松田あたりまでは下りのワインディングが続く。快調に飛ばしていると後ろから日産「チェリーX‐1」がかっ飛んできて楽しいチェイスをやったことを今も覚えている。正直言うとかなりのスピードが出ていた。トップスピードはおおよそ175km/hだったそうだが、恐らくチェリーも似たようなものだと思う。まあ、たった87psしか出ていないからこんなもんだ。ダッシュの中途半端な位置からシフトレバーが出ていて、何となくギアチェンジしづらかったことを今も覚えている。
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