星野一義選手が乗ったF2マシン
今回「箱車の祭典2023」に姿を見せたLARKカラーの85Bは数奇な運命を辿った1台でした。1985年シーズンの全日本F2選手権に星野一義選手は自らのチーム、ホシノ・レーシングから参戦。LARKカラーに塗られた車両は「クラコ マーチ85B ホンダ」。日本専用85Jの8号車に、前年までのBMWに代えてこのシーズンから手に入れたHondaエンジンを搭載しています。星野選手にとっては最高のウェポンを手に入れ気合の入ったシーズンインとなりました。
なお車名につくクラコ(Kraco)はゴム製品を主体に、様々な自動車用品を生産するカーアクセサリーのメーカーで、CARTレースにもチームを組織して参戦中。1983年からはマシンをマーチに一本化し、マーチ社を支援する関係となったことから1984年の842からは正式な車名としてクラコ-マーチを名乗るようになっていました。
さて、クラコ-マーチ85Jを駆る星野選手ですが、最初の公式セッションとなった開幕戦の予選1回目、ウェットコンディションの中、早くもトップタイムをマーク。公式予選でも松本恵二選手に次いでフロントロー2番手グリッドを得ています。決勝ではスタートから飛び出してトップを快走しましたが、まさにゴール直前となったところでホイールが緩むトラブルでストップ、10位に終わってしまいます。
そしてシリーズ第2戦と第3戦では2戦続けて中嶋 悟選手に先を越されて連続2位に終わり、迎えた第4戦の鈴鹿では決勝前のフリー走行にてクラッシュしてしまいました。マシンはほぼ全損で新たなレーシングカーを手配しなければならないのですが、日本仕様としたマーチ85Jは10台のみが製作され、全て日本国内のチームに供給されていましたから、85Jの新車は用意できません。
そこでホシノ・レーシング陣営が講じた作戦がマーチからヨーロッパF3000用シャシー(ワークスで使用していた85Bでシャシーナンバーは85B-1)を手に入れ、全日本F2仕様にコンバートすることでした。そこにはチームのタイトルスポンサーであるLARK(マールボロと同様にフィリップ・モーリス社の煙草ブランドで、ヨーロッパF3000ではマーチのワークスチームをマールボロ・ブランドでサポートしていました)のサポートもあったのです。
幸いモノコックやサスペンションは共通で、コンバートも無理なく進められ、6週間後のシリーズ第5戦・鈴鹿にはマーチ85B/85Jとして姿を見せると予選2番手からスタートダッシュでトップを奪い、あとはそのまま独走。星野パターンで快走しトップチェッカーを受けています。