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バブル期の「CABIN RACING」からレースクイーン文化は始まった!? 国内モータースポーツ界を変革した懐かしのチームのマシンを紹介します

クラコ「マーチ85B」

エマニュエーレ・ピッロがドライブしたマシン

去る2023年10月29日に富士スピードウェイを会場として「POWER&TORQUE」という名のイベントが開催され、その中で箱車レーシングカーの走行枠が設けられました。「箱車の祭典2023」と銘打って実施された展示枠にエントリーしていたクラコ「マーチ85B」を紹介します。

国内モータースポーツ界を変革したCABIN Racing

日本国内のモータースポーツを、大きく変革させるきっかけとなったのは1986年のシーズンイン直前、2月5日に都内のホテルで発足発表会を開催したCABIN RACING(キャビン・レーシング)でした。CABINというのは日本たばこ(JT)が販売していた煙草のブランドで、CABIN RACINGは、その名からも分かるように日本たばこ(JT)がスポンサードするレーシングチームです。

しかし単に当時のトップドライバーだった松本恵二選手をスポンサードして国内最高峰の2カテゴリー、全日本F2選手権と富士グラン・チャンピオン(GC)シリーズに参戦させるだけでなく、松本選手をキャラクターに起用してテレビCMやポスターを制作、JTとCABINのプロモーション活動を展開しています。

全国のたばこ販売店や駅などの展示スペースに松本選手とレーシングカー、そしてCABINが映り込んだ、それまででは考えられないようなイメージのポスターが貼られ、JTとCABINはもちろんですが松本選手やモータースポーツの存在感が大きくなっていったのは事実でした。発足発表会で紹介された5人のキャビン・ギャルズ、今でいうレースクイーンはレースが行われるF2やGCが開催されるサーキットにも登場し雰囲気を盛り上げることになりました。

その一方でCABIN RACINGの情報を発信するPRチームが全レースに帯同。予選や決勝の速報レポートやドライバーのコメントなどをリリースしていたのです。現在のレースでは、こうしたPR業務は一般的となっていますが、当時のレース界としては画期的なスタイルで、まさに“黒船来襲”となりました。そしてバブル景気も手伝って、それ以降はレーシングチームにビッグスポンサーが付き、その体制発表会ではレーシングカーを展示するのと同様に、レースクイーンが紹介されることも一般的になっていきました。

松本選手を擁するCABIN RACINGがスタートした1986年シーズン、国内トップフォーミュラだった全日本F2選手権にはマーチ86J(ヨーロッパで始まったF3000用のシャシーをF2規定のまま開催されていた全日本F2用にコンバートしたモデル)にヤマハが開発したV6のOX66エンジンを搭載し、松本選手に馴染みのあるゼッケン8で参戦しています。

さらにシリーズ最終戦には松本選手の一番弟子を任じる森本晃生選手が、スペアカーのマーチ86J・ヤマハを使用しゼッケン18でエントリーしていました。翌1987年は国内トップフォーミュラがF2からF3000 に移行。CABIN RACINGはマーチ87B・DFVを投入し、松本選手は引き続きゼッケン8で参戦していましたがシーズン途中からローラT87/50・DFVに変更して引き続きゼッケン8で参戦したのです。シーズン後半には森本選手がマーチ87B・DFVを駆りゼッケン85で参戦し2カー体制を敷いていました。

1985年のヨーロッパF3000用に製作されたマシン

1988年になるとCABIN RACINGは体制を一新、星野一義選手を擁するCABIN RACING TEAM with IMPULと森本選手を擁するCABIN RACING TEAM with HEROESとの2チーム/2台体制となりました。IMPULはマシンとしてマーチ88BとローラT88/50を用意しますが星野選手はローラを選んで参戦。エンジンは無限MF308を搭載し、前年のチャンピオンの証でもあるゼッケン1を纏っていました。翌1989年はローラT89/50・無限とレイナード89D・無限を用意しましたが、星野選手はローラを選び、引き続きゼッケン1で参戦しています。

そして1992年まで星野選手はCABINカラーを纏って最新モデルのローラで参戦し、1989年と1991年はゼッケン1で、1990年と1992年はゼッケン19で参戦しました。一方、若手育成を謳うHEROESは1989年には鈴木利男選手、1990~1991年に片山右京選手、1992年から1993年終盤まで黒沢琢弥選手、1993年終盤から1995年まで金石勝智選手を起用。マーチやローラ、レイナード、そして童夢と様々なマシンを選択していましたが、すべてHEROESの持ちナンバーだったゼッケン3を纏っていました。

今回「箱車の祭典2023」に姿を見せたCABINカラーでゼッケン19を纏ったマーチですが、85B-03というシャシーナンバーが示す通り、1985年のヨーロッパF3000用に製作されたマーチ85Bです。現在のオーナーであるTRANSIT engineering JAPANの渡邉氏によると、この個体は1985年シーズンにはマーチのワークスチームとして戦っていたオニクス・レーシングが使用し、エマニュエーレ・ピッロがドライブ。2勝を挙げてシリーズ3位につけています。

翌1986年にはマーチワークスから同じく英国のロニ・モータースポーツに放出されステーブン・アンドスカーがドライブしてヨーロッパF3000の全10戦中5戦にスポット参戦しましたがすべてでDNQ(予選落ち)を喫していました。

1987年以降の参戦記録はなく、1986年の参戦を終えてから日本国内に持ち込まれ、CABIN RACINGカラーに塗られたものと推察されます。星野選手のネームとゼッケン19を纏っていることから、1990年か1992年シーズンのプロモーションに使用された可能性が濃厚ですが、当時の正確な資料が手許にはなく、詳細は不明です。

ちなみに、星野選手はこのCABIN RACINGの時代が最も印象深く残っていて、引退のシーズンとなった2002年のNISMO FESTIVALではCABINカラーを纏ったF3000マシンをわざわざワンオフで用意したようですが、この時のマシンはローラT90/50で、残念ながらゼッケン19を纏ったマーチ85B・DFVが国内で走った記録は残っていません。

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