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【超お宝写真】大阪万博にフェラーリやインディカーが展示されていた! 当時の写真で振り返る日本万国博覧会の思い出【クルマ昔噺】

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)

フェラーリ512モデューロの実車が展示!

もう1館、イタリア館も同様だった。クルマ以外に一体何を見たのかまるで覚えていない。やはりアメリカ館同様にとんでもないインパクトだったのだと思う。イタリア館にあったのはピニンファリーナのフェラーリ「512モデューロ」だった。他にはバイクのMVアグスタも。モデューロの横に古いクルマの展示もあったが、そんなものはどうでもよかった。とにかくカッコ良かった。

あの頃、ちょうど自動車雑誌に夢中になっていて、モデューロはすでにジュネーブショーでお披露目されたものを見ていた。黒と白に塗られていたものが、目の前にあるモデューロは鮮やかな白一色に変えられていた。のちにこのクルマはフェラーリP4を所有するジェームス・グリッケンハウスが購入し、現在はニューヨークのナンバーをつけて、時々オンロードを走っているというから驚きである。

というわけで万博に対する興味は途中から「全部見よう」から「クルマを探そう」に移ったような記憶もある。当時まだ18歳で免許を取ったか取らないかという時期。海外など行ったこともなく、海外の食事の経験もない。

一番ビックリしたのはアメリカ館の外でテキサスのステーキを食べさせるところがあったのだが、畳2畳分はあろうかという巨大なオーブンの上に所狭しと巨大ステーキを置いて焼いていた。しかも呆れたのは焦げてしまうと片っ端から捨ててしまうことだ。あれほど驚いたことはない。同時になんていう国なんだとも思った。アメリカ初上陸はそれから15年ほど後であるが、やはり初上陸した時もその広大さやモノの豊富さに呆れ、こんな国に戦争を仕かけるなんて。ほんと「井の中の蛙」と思ったものである。

良い悪いはともかく、それ以来アメリカという国に興味を持ったことは確かである。戦争を経験した両親はいまだにアメリカが大嫌いだが……。

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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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