40年前にダイハツが全力投球で世に問うた上級コンパクトカー
ダイハツは1967年からトヨタと業務提携し、協業しながら新たな4輪乗用車のブランドを開拓していきました。今回は今から40年前の1974年に、2代目「カローラ」をベースにダイハツが独自に開発した上級小型車の初代「シャルマン」を、当時のカタログから振り返ります。
小川知子がイメージキャラクターだった
今、ダイハツにはひとえに再起を願うばかりだが、そんな同社にとっての初の上級小型車だったのがシャルマン。登場は1974年のことだった。
世代限定の話にはなるが、シャルマンのデビュー当時、TV-CMでは当時歌手(後に女優でも)として人気のあった小川知子を起用。彼女の当時の代表的なヒット曲には「ゆうべの秘密」(1968年)、「初恋のひと」(1969年)などがあり、タイトルからして妖艶なそんな曲がTVの歌番組から流れてくるのを筆者も小学生の砌(みぎり)で耳にしていたわけだが、そんな彼女がシャルマンの運転席で「ウィ・セ・シャルマン(Oui, c’est CHARMANT)」と答えるシーンと発音は、今でもクッキリと記憶している。ここではご紹介していないが、初代シャルマンのカタログにも、しばらく彼女が登場していた。
じつはフロントドアパネルは完全にカローラと同じ
ところでクルマのシャルマンは、トヨタの2代目「カローラ」(TE20/KE20)をベースにダイハツが独自に仕立てた車種だった。そのため2335mmのホイールベースはカローラと共通だったし、さらに言えば見える部分では、4ドアのフロントドアのアウターパネルは、シャルマンではカローラ4ドアセダンのそれを流用していた。ご参考までに本記事中で1点だけカローラセダンのカタログの写真もご紹介しておくが、幼少からカーマニアだった筆者でも、当時からベースがカローラだったことは見聞きしてもちろん承知していたものの、さすがにドアパネルが共通だったところまでは見抜いていなかった(のは今思うといささか迂闊でもあった)。
また、トヨタとの協業というと、小型車でシャルマンよりも先の「コンソルテ」(=トヨタ「パブリカ」、初代「スターレット」)に前例があったが、その話はまた、後継車の「アプローズ」などとともに機会があればご紹介したい。
アッパークラスの象徴だった丸目4灯で高級感をアピール
そしてシャルマンだが、ダイハツにとって最上級車でもあるため、ベースのカローラに対してもより高級感を打ち出しにしていたのが特徴。象徴的なのはフロントマスクのデザインで、当時のカローラはヘッドライトが丸型2灯だったのに対し、シャルマンは丸型4灯(カタログ上の表記は「4眼式デュアルヘッドランプ」となっていた)を採用。
「このライトが4つっていうのは、街を見ていると1400や1200クラスでは珍しいんですね。ですから、シャルマンに乗っていると1600? 1800? なんて聞かれたりします」
とは、カタログに実施に記された文面だ。フロントグリルも2代目カローラはグレーの樹脂でグリル全体を囲み、先進感やスポーティ感を打ち出していたが、シャルマンのマスクは、当時の国産乗用車としてはオーソドックスな彫りの深い典型的な高級感を表現したデザインだった。
なおカタログでは「奥さまへ」として、前出の小川知子が語る体で、女性の眼でシャルマンを紹介。そこで紹介されているのはバンパープロテクターゴム、リアウインドデフォッガー、電動式リモコンミラーといった装備類。一方で「ご主人さまへ」としては、当時のJAFラリー委員、DCCS(ダイハツ・カー・クラブ・オブ・スポーツ)会長の寺尾慶弘氏が登場、155SR13ラジアルタイヤ、大型リアコンビネーションランプなどを紹介している。