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まるで映画『カーズ』の舞台! セリグマンの街から全米に広がった情熱が「母なる道」の保存に繋がりました【ルート66旅_41】

大勢の観光客で賑わっているエンジェルさんのお店。現在のヒストリック・ルート66はまさにここから始まったといっても過言じゃない

ルート66復活のきっかけを作った街セリグマン

広大なアメリカを東西2347マイル(3755km)にわたって結ぶ旧国道「ルート66」をこれまで5回往復した経験をもつ筆者が、ルート66の魅力を紹介しながらバーチャル・トリップへご案内。イリノイ州シカゴから西に向かい、見どころの多いアリゾナ州へ。少し寄り道してグランドキャニオンを見た後は、ルート66でもっとも有名な街のひとつであるセリグマンを紹介します。

ひとりの男の情熱が全米に広がった

グランドキャニオン方面への寄り道を終えたら、次の目的地は人口500人ほどの小さな街セリグマン。ルート66のTV番組やウェブサイトの記事では確実に取り上げられ、ラスベガスなどからのツアーもあるため名前を知っている日本人も多いだろう。近隣にウィリアムズやフラッグスタッフといった街があるのに、はるかに規模が小さいセリグマンが有名になったのには理由がある。

何度か書いたとおりルート66は歴史的な役目を終え、1985年にいったんは地図の上から姿を消した。しかし母国の発展に寄与した道を愛する人たちが声を上げ、ヒストリック・ルート66としてほぼ完全なカタチで復活。その起爆剤となったのがセリグマンで生まれ育った、エンジェル・デルガディーロさんと仲間たちなのだ。

母なる道の保存を訴えるため「アリゾナ州ルート66協会」を立ち上げると、イリノイからカリフォルニアまでの7州も同調し運動は全米に広がっていく。彼らの情熱がなければルート66は歴史の波間に消えていっただろうし、この記事どころか私がアメリカに行くことすらなかったかもしれない。

そのような事情でセリグマンは今も世界中から訪れるルート66ファンで大いに賑わっており、街の入り口には「バースプレイス・オブ・ヒストリック・ルート66」の看板が誇らしげに立っている。

昼の賑わいも楽しいし夜のバーでの交流も楽しい

セリグマンを東西に貫くメイン・ストリートがまさしくルート66だが、小さな街だけあって中心部と呼べるエリアはごくわずかな範囲しかない。そこにルート66グッズを販売するギフトショップ、レストランやモーテルやガスステーションが並び、ツアーの観光客も多いため昼は結構な賑やかさだ。

復活のきっかけを作ったエンジェルさんが営んでいるショップはとくに人気で、コロナ禍の前は日本人を満載した大型バスが毎日のように店の前に停まり、ショッピングや映画『カーズ』から抜け出したような街並みを楽しんでいた。もうじき97歳のエンジェルさんが時おり顔を出し、観光客と一緒の写真撮影に応じてくれることもある。

ルート66のテーマパークみたいな昼も楽しいには楽しいが、個人的にこの街が一番面白く感じるのはなんといっても夜。観光客の大半がちょっとした観光と買い物だけで済ませるなか、コアなルート66ファンはモーテルに泊まってバーへ繰り出す。そこで各国からルート66を走りに来た旅人と交流したり、地元で暮らす方々と仲よくなって酒をご馳走になったり、そのお礼を兼ねて翌年は日本の土産を持って再訪するなど、セリグマンに泊まったおかげで交友関係は大いに広がった。

* * *

もっとも、私がセリグマンを「アメリカの故郷」と感じるほど、毎年のように訪れ何泊もするようになったのは違う理由がある。その出会いがなければ泊まることはなかった気がするし、何度もルート66を走ることすらなかったかもしれない。というわけで、次回は初めてセリグマンを訪れた、13年前にあるモーテルで起きた出来事についてご紹介しよう。

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