12気筒エンジンの黄金時代を振り返る
乗用車用エンジンに採用される気筒レイアウトのなかでも、12気筒はもっともエキゾティックでロマンティックなもののひとつといえるでしょう。終幕の時に向けて「カウントダウン」が刻まれているかにも見える現在だからこそ、その黄金時代を今いちど振り返ります。
ジャガーが消えゆく運命にあったV12の可能性を再び発掘
第二次世界大戦前の高級車においてV型12気筒エンジンが流行したのは、大排気量であってもスムーズで静かな特性をもたらす気筒レイアウトだったからにほかならない。しかし、第二次大戦後の終結と時を同じくして、ゴムや油圧で振動を抑える性能の高いエンジンマウントが一般化したことにより、エンジン本体が発する振動にはあまり神経質になる必要性がなくなっていた。
そこで、いち早くV12エンジンが普及したはずのアメリカでは、キャビンスペースを損なわないコンパクトさと効率に優れるV8に移行。いっぽうヨーロッパでも、戦後復興のため超高級車の需要が大幅に減少していたことも合わせて、V12エンジンは欧米の自動車界からフェードアウトしてゆく。
こうして乗用車の歴史から姿を消すかに思われた12気筒エンジンだが、高回転化によるパイパワーを期したレーシングカー/スポーツカー用エンジンとして再びスポットライトを当てたのが、エンツォ・フェラーリであった……というエピソードは、以前のAMWにてV12黎明期を取り上げた記事でも記したとおりである。
このフェラーリの成功から、とくにV12固有のカリスマ性に目をつけたフェルッチオ・ランボルギーニは、不倶戴天の仇敵フェラーリに対抗するにはV12が必須と判断したことから、自社で開発する初のモデルにもV12エンジンを選択したものの、そののちもしばらくはエキゾティックなスーパースポーツカーの特権という領域にとどまっていた。
そんな流れを変えたのは、1971年に名車「Eタイプ」てこ入れの切り札として初登場したジャガーであろう。1960年代までのジャガーは、豪華な内外装と高性能を誇るスポーティな高級車/スポーツカーを、比較的安価に販売するというというビジネススタイルで大成功を収めてきたが、70年代を迎えて本気の高級車へと進出を目指し、12気筒の持つ絶対的カリスマに着目したといわれている。
翌1972年には、ジャガーの本命サルーン「XJ12」および姉妹車「デイムラー・ダブルシックス」も登場し、当時は「世界最高の量産乗用車」とも称賛された。そして1988年、BMWの2代目7シリーズ(E32系)にV12を搭載した「750i/750iL」が追加設定されたことが、12気筒エンジンは高級車の中でも特別な存在であることを象徴するアイコンとして再確立されるには、文字どおりの決定打となったのだ。