大阪方面に納車をしたが……
リアにシートは存在したが人が乗れるようなスペースではなく、もっぱらのモノを置くスペースとして活用するものと理解した。もっともここに乗って青山に繰り出したことがあるが、とにかく狭く、横向きにしか乗れなかったことを覚えている。
さすがに新車だったから、お値段も当時在庫していた365GT2+2の倍近い1000万円だった。このクルマは売却される前に名古屋のレーシングカーショーにも展示した。その際トランポに載せたのは当時の営業マン。しかし、ランプ(スロープ)の幅が狭くタイヤをそのランプにこすってしまう。よせばいいのに下側ではなく上側に載せたのだが、上がりきる直前、恐らく最後のパワーを出すために半クラッチを最大限に活用したのだろうが、その瞬間クルマの下から猛然と煙をはいて微動だにしなくなった。
もちろんエンジンはかかっているのだが、一瞬にしてクラッチを失ったらしい。そのことがあってから、シングルプレートのクラッチはほぼ半クラッチが使えないということを学び、信号からの発進でもアイドリングスピードでクラッチを繋ぎ、そこから加速するようにした。
後年、自らポルシェに乗るようになった時、その経験が生きてポルシェでもクラッチを傷めない乗り方ができた。
ビックリしたのはそのインテリアのモダンさだった。デイトナも含め、当時のフェラーリは伝統的にヴェリアのメーターを装備していたが、その針はあくまでも細く尖っていた。ところがGTC/4のそれは太い。しかもスラントしたセンターコンソールの上に4連メーターが鎮座する。とりわけメーターナセルのデザインはその後に誕生する365BBと全く同じデザインだったのだから、モダンなはずである。
このクルマは大阪から初めてディーノを買って行ったお客さんのもとに嫁いだ。しかし、残念なことに購入後半年で大クラッシュし、前後を潰してほとんどスクラップ同然の姿になってしまった。その後、大改修を施したという話を聞いたが消息は知らない。
そしてこれも後に知った話だが、このサイドドラフトのレイアウトには問題があって、何とキャブレターはエキゾーストパイプの真上に存在する。だから、万一ガソリン漏れを起こすと消失の危険が非常に高いのだそうだ。サイドドラフトの12気筒がこれ1台こっきりに終わったのはそんな理由もあるのかもしれない。
多くの人が好まなかったラバーで周囲を覆ったグリルデザインも、個人的にはスマートに見えたもの。初の新車の12気筒フェラーリということもあって、思い出は尽きない。このスーパーカー輸入会社は大学卒業とともに辞めた。就職したからではなく、そのまま当時の西ドイツへ留学したからだ。
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