ホイールメーカーのブースはレジェンドで大盛況
新年のクラシックカー・イベントとして定着したNostalgic 2days。2024年も2月17日~18日の両日、横浜のみなとみらい地区にあるパシフィコ横浜で開催されました。エントランスの右手、メインステージに程近い区画にハヤシレーシング、ワーク、レーシングサービスワタナベ(RSワタナベ)、とホイールメーカー大手3社のブースが軒を並べていました。
国内F3を立ち上げたホイール3メーカーが1カ所に集結
古くからのモータースポーツファンには、1979年に始まった国内F3レースの創設に関わったことで知られている3メーカーで、オリジナル・コンペティション・ホイール・グループとして日本フォーミュラ・スリー協会にも加盟。1981年に全日本選手権のタイトルが懸けられる以前から日本フォーミュラ3チャレンジカップレース・シリーズをスポンサードしてきたことは懐かしいエピソードです。
そのホイールメーカーは近年、創業社長から二代目に代替わりしていますが、いまだに仲間意識を持ち続けているようである。ハヤシレーシングの創業社長の林 将一会長が「久々にNostalgic 2days、出るぞ」と息子で二代目の林 浩史社長に一声かけると、ハヤシレーシングの営業畑出身でワークの創業社長、田中 毅さんの娘で新社長の田中知加さんがすぐさまこれに呼応したそう。
Nostalgic 2daysの事務局に「ハヤシレーシングとうち(ワーク)のブースは隣り合わせでお願いします」と申し込み、さらに「ワタナベ(RSワタナベ)さんが出展するなら(ハヤシとワークも)近いところに」と2社の孤立を懸念してリクエストした。
しかし心配は全く無用でRSワタナベも、創業社長の渡辺俊之さんから引き継いだ2代目社長の渡辺万三志さんが「ハヤシ(レーシング)さんやワークさんが出展するならうち(RSワタナベ)のブースもその隣に」とNostalgic 2daysの事務局に申し込んだという。かくして半世紀近くも前に国内F3を立ち上げたホイール3メーカーのブースが今回のNostalgic 2daysでは一カ所に集まったのでした。
3人の二代目社長はそれぞれのブースで接客に精を出していたため、初代のトップとして唯一、今回のNostalgic 2daysに顔を見せていた林 将一会長は、ホイール3メーカーのブースが軒を並べる一角に用意されたテーブルに陣取る時間が多くなった。
するとそこには1960年代の終わりから1970年代にかけて、ともにFL500レースを戦ってきた多くの「レジェンド」たちが顔を出し、昔話に花を咲かせることに。17日の土曜日には、ブースを訪れた時には1970年代にRSワタナベのFLでエンジンチューニングを担当していたメカニックさんたちが林会長と当時の話で盛り上がっていました。
鈴鹿のFLレースで午前の予選終了後、午後の予選に向けてエンジンのオーバーホールをよくやっていた話を聞いているうちに中山サーキットの話になり、「初めて会った頃はまだ高校生レポーターだったよね」といきなり振られて個人的にも一気に半世紀前にタイムスリップ。思い出話に花を咲かせることになりました。
3人の二代目社長はもちろん、こうした半世紀前のFLレースに立ち会ってはいなかったものの、当時を知る多くの“レジェンド”に囲まれて日々を過ごしてきただけに、彼らと “想い”は十分に共有できているはず。3人のインタビューはまた機会を改めますが、モノづくりに対する期待が膨らむNostalgic 2daysとなりました。