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57億円ともいわれたフェラーリ「250テスタロッサ」の落札価格は…。世界を転々としたヒストリーを紹介します

57億円ともいわれたフェラーリ「250テスタロッサ」の落札価格は…。世界を転々としたヒストリーを紹介します

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: 2023 Courtesy of RM Sotheby's

フェラーリ250GTO風だった時期も・・・・・・

このほどサザビーズのオークションに出品された250TR、シャシーNo.0738 TR は、1958年春に工場で完成した19台の「ポンツーンフェンダー」のうちの1台とされる。ベネズエラのカラカスにあるフェラーリの中南米地区正式代理人、カルロス・カウフマンの仲介によって、ブラジルのサンパウロ在住のレーシングドライバー、ジャン-ルイ・ラセルダ・ソアレスのためにオーダーされたという。

No.0738 TRは1958年6月にブラジルへと到着。ソアレスはすぐにレースに参戦を始める。彼が主宰する「スクーデリア・ラルガティシャ」は、ソアレス自身とチコ・ランディ、ルチアーノ・デッラ・ポルタで構成され、プロドライバーが経営する「ジェントルメンレーサー」チームだった。

1960年シーズン末までに、チームはブラジル全土で14レースに0738 TRとともに参戦し、複数の勝利と半ダースの表彰台フィニッシュを達成した。しかし1961年になると、シャシーNo.0738 TRはジョルジオ・モローニに売却する。

モローニはすぐにイタリアのモデナに移送し、のちに伝説のフェラーリ330P4のボディワークを手がけることになるピエロ・ドローゴによって、250GTOを若干モダナイズしたような、なんとハッチゲートつきのベルリネッタボディが架装されることになる。

革新性と新しいデザインが求められるスポーツ界において、モローニはより洗練されたスタイルのボディワークを採用することで、競争力のあるレースに長くとどまる能力を維持することができると考えたとされる。しかし現実には、メカニズムは手つかずのまま残されており、事実上のデザインスタディに終わってしまう。

それでもモローニは、1964年と1965年の少なくとも2回、この魔改造テスタロッサでレースに参戦したのち、1965年秋にクラウディオ・クラビンに売却する。そして1975年、サンパウロで元レーシングドライバーのカミッロ・クリストファロに売却されたあとは、1986年に伝説の自動車「トレジャーハンター」コリン・クラッブによって発見され、イギリスに持ち帰るまで約10年間保管されていた。

No.0738 TRはそののち米国の大物フェラーリ・コレクターであるロバート・ルービンに売却され、250GTOとガレージスペースを共有するのだが、さらに数年後には英国に売却。そこでコレクターであるポール・ヴェスティ卿のコレクションに収まることになった。

ヴェスティ卿の保護のもと、No.0738 TRはデビッド・コッティンガムの率いる世界最高クラスのフェラーリ専門業者「DKエンジニアリング」のスペシャリストによって、丹念かつ慎重に修復を敢行。また「RSパネルズ」社は、完全に正確なアロイボディを細心の注意を払って手作業で成形し、ブラジルの伝統に敬意を表して緑色のノーズバンドで黄色に塗装した。

ヴェスティ卿は数年間にわたって、この250テスタロッサを保有しながら「ミッレミリア・ストーリカ」や「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」などのイベントでドライビングを楽しんだのち、1995年に「330 P3」を入手するための複雑な取引の一環として売却することになったという。

そして1996年、No.0738 TRは有名コレクターであり熱心なクラシックカーレーサーでもあるカルロス・モンテベルデによって入手され、彼は所有中に50回以上のレースでこのマシンを出走させている。ただし、マルセル・マッシーニのヒストリーレポートにも記されているように、1998年と2001年にレース中の事故に巻き込まれ、その後2回とも慎重にレストアされたとのことである。

57億円超えが予測されるも・・・・・・

2010年までに、モンテベルデ氏はNo.0738 TRでのレース活動に終止符を打つことを決意。2013年の最終的な売却に先立って「フェラーリ・クラシケ」に愛車を託し、完全なレストアと正統性の認証が行われることになった。

フェラーリ・クラシケは総額65万ユーロ以上を受領し、このテスタロッサのために均整のとれた新ボディを製作、No.0738 TRを1958年当時のオリジナルに完全に戻した。またレストアを完了したのち、フェラーリ・クラシケはこの個体がオリジナルのエンジンとギアボックスの両方を保持している数少ない現存車両の1つであることを確認する「レッドブック」も発行した。

そしてそれから約10年間、No.0738 TRは著名なアメリカのコレクションに譲渡され、「スクーデリア(厩舎)」の仲間たちと休息をとっているとのことである。

250テスタロッサはなんらの誇張もなく、究極のフェラーリとして広く認められている。スクーデリア・フェラーリがスポーツカーレースでの復活を遂げた唯一無二の象徴であり、エンジニアリングとデザインにみごとに融合した美しさで、史上最高のレーシングスポーツカーの1つとなった。

そしてサザビーズは、このクルマただ1台だけを商品とするオークションを、ミシガン州デトロイトにて開催することを決定。入札者が相互に提示価格を知ることができない「シールド・ビッド(Sealed Bid:封かん競売)」の形式をとり、オークションの通例であるエスティメート(推定落札価格)が公表されることはなかった。

こうして2024年2月22-24日には、主にオンラインで秘密裏に競売が行われたはずなのだが、公式WEBページでは締め切りから数日を経ても「upon request(価格応談)」のまま。つまりは最低落札価格に届かず、締め切り時点では流札。現在でも販売継続中と推測される。

250テスタロッサのようなクラスのクルマは、有力コレクターや愛好家同士の個人的な譲渡がほとんどで、国際クラシックカー・マーケットに売り物が出る事例は少ない。

今回のサザビーズ・シールド出品を前に、さる筋では3800万ドル、日本円に換算すれば57億円を超える落札価格もあり得るとの予測を立てていたようだが、残念ながら現状では成約には至っていないものと思われる。

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  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 1967年生まれ。かつてロールス・ロイス/ベントレー、フェラーリの日本総代理店だったコーンズ&カンパニー・リミテッド(現コーンズ・モーターズ)で営業・広報を務めたのちイタリアに渡る。帰国後は旧ブガッティ社日本事務所、都内のクラシックカー専門店などでの勤務を経て、2001年以降は自動車ライターおよび翻訳者として活動中。また「東京コンクール・デレガンス」「浅間ヒルクライム」などの自動車イベントでも立ち上げの段階から関与したほか、自動車博物館「ワクイミュージアム(埼玉県加須市)」では2008年の開館からキュレーションを担当している。
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