日産とホンダの協業
日産自動車と本田技研工業(ホンダ)は、自動車の電動化と知能化へ向けて、戦略的パートナーシップの検討を開始する覚書を締結したと、2024年3月15日に発表しました。具体的に何を協力していくかが、この先話し合われます。なぜ両社が協業することになったのでしょうか。これまでの流れを振り返りながら解説します。
米中がリードするEV
電気自動車(EV)の販売は、世界的に踊り場の局面を迎えたと報道されているが、後退するわけではない。21世紀のクルマ社会は、EVになるとの方向性に異を唱える自動車メーカーは限られるだろう。
そうしたなか、EVで世界一を争うのは、2003年に創業した米国テスラと、1995年に創業した中国BYDだ。テスラがEVを発売したのは2009年(ロードスター)で、BYDもEV(e6)の販売は同年からである。そこから15年で、世界一のEV販売台数を争うまでに両社はなった。
日産は、2010年に初代リーフを販売し、EVのさきがけの一社となったが、現在のEV販売台数はテスラとBYDに到底及ばない。ただ、国内では、サクラ/リーフ/アリアと、車種の拡大を行っている。ホンダは、2019年に同社初のEVであるホンダeを発売したが、すでに販売終了となった。しかしホンダは、2040年にEVまたは燃料電池車(FCEV)に絞った新車販売を目指している。
エンジン車と同じでは売れないEV
かつて、自動車製造は簡単ではないといってきた100年に及ぶ既存の自動車メーカーが、15年ほどの自動車製造経験しかないテスラやBYDにEVではかなわなくなっている。それはなぜか?
EVは、エンジン車と同じようなつくり方や、販売の仕方では、売れ行きが伸びないということだ。
日産は、初代リーフを発売する以前からその点に気が付いていた。EVで使用済みとなったリチウムイオンバッテリーを再利用するフォー・アール・エナジー社を設立し、同社はすでに中古バッテリー再利用の事業をはじめている。また2010年当時、急速充電網がまだ整備されていないとき、日産は自社開発したほぼ半額の急速充電器を全国の販売店に設置し、40km圏内で充電できる環境づくりをした。車載の通信機で、顧客の質問や要望に答える支援も行った。
EV販売は、単に優れた商品性を持つクルマを開発すれば売れるわけではない。顧客の不安や懸念を払拭する支援の事業化を新たにはじめなければならないのである。その象徴が、テスラだ。自ら充電網を世界に構築し、盤石の態勢を整えている。あるいは、IoT(物のインターネット)を活用して、バージョンンアップを実施している。
それにもかかわるのが、車両の情報・通信機能の充実だ。BYDも、端末となる大画面を採用することで、情報・通信との接点を重視する姿勢をみせている。加えて、韓国のヒョンデは、カメラ画像の有効活用という点で、独自ながら使い勝手のよい装備の充実をはかっている。ヒョンデも、自社開発の新車販売は1975年からであり、欧米や日本のメーカーより遅いが、EVと情報・通信に関しては先んじている。
それらに比べ、欧米や日本の自動車メーカーの多くは、いまだに一充電走行距離の延長に精一杯で、バッテリーの再利用はまだ実証実験段階にあり、充電網は自社銘柄のみという抱え込みで自己の利益のみを追求するようなことをする。情報・通信では、端末の利便性がよくない。