無数の挑戦と可能性に頭脳を注ぎ込む
1899年、ヘンリー・エドマンズはオートモービル・クラブ・オブ・グレート・ブリテン&アイルランド(後のロイヤル・オートモービル・クラブ、RAC)に入会。ヘンリー・エドマンズはモータースポーツの虜となり、その明晰で独創的な頭脳を、まだ未熟だった自動車テクノロジーが持つ無数の挑戦と可能性に熱心に注ぎ込んだ。
翌年、ヘンリー・エドマンズはクラブの堂々として陽気な幹事、クロード・ジョンソンが企画したロンドンからエジンバラまでの往復1000マイル・トライアルに参加。彼の仲間にはチャールズ・スチュワート・ロールズもおり、3人は固い友情で結ばれることとなる。
1904年までには、ヘンリー・エドマンズはパーソンズ・ノンスキッド社の事業に参画。同社は、いわゆる「横滑り」を防ぐためにクルマのタイヤに取り付ける「チェーン」を製造していた。彼らはその年の4月末に開催されたスライド・スリップ・トライアルにエントリーしたが、参加する直前に適切なクルマがないことに気づく。
ヘンリー・エドマンズはヘンリー・ロイスに、ロイスが最初に製造した「10H.P.」モデルを使えないかと相談。ヘンリー・ロイスはこれを快諾し、クルマを急遽列車でロンドンまで運び、そのクルマでエドマンズは見事1000マイルのコースを走りきることとなる。この大会にはチャールズ・ロールズも参加していたはずだが、彼がヘンリー・ロイスのクルマに関わったという記録は残っていない。
ヘンリー・エドマンズは10H.P.に大きな感銘を受け、また、ロールズがロンドンで販売する高品質の英国製自動車を切実に探していたことも知っていた。1904年5月4日、マンチェスターのミッドランドホテルで、ヘンリー・エドマンズはこう告げた。
「ヘンリー・ロイス、チャールズ・ロールズという男を紹介しよう」
ここからロールスロイスの歴史がはじまる。
AMWノミカタ
一般的にロールス・ロイスの歴史は1904年5月4日、マンチェスターのミッドランドホテルでチャールズ・ロールズとヘンリー・ロイスが出会うことから始まる。しかしこの出会いの立役者はヘンリー・エドマンズで、この男がいなかったら120年の歴史を刻む、世界最高峰のブランドは存在し得なかったといえる。ロールス・ロイス・モーター・カーズのコーポレート・リレーションズ&ヘリテージ責任者であるアンドリュー・ボール氏はこのように語る。
「私たちが知っているロールス・ロイスは、他の人々の介入、影響、貢献なしには存在しなかったかもしれません」
ブランドの成功物語の影には、絶対に欠かせない重要な役割を果たした人々がいるものだ。こんな素敵な物語をもっと知りたい。