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BMW第2の「ノイエ・クラッセ」は電気自動車で! 始祖となる「1500」の大ヒットに「ノイエ・クラッセX」はあやかることができるか!?

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: BMW

  • ジャパンモビリティショー2023でも展示されたBMWビジョン・ノイエ・クラッセ
  • ビジョン・ノイエ・クラッセXのリアビュー
  • ビジョン・ノイエ・クラッセXのサイドビュー。新たなアーキテクチャに初めて電動駆動を搭載したこの派生モデルは、2025年からハンガリーのデブレツェン工場でシリーズ生産に入る
  • ビジョン・ノイエ・クラッセXのインテリア。BMWパノラミック・ビジョンは、フロント・ウィンドーの全幅に主要な情報を投影する
  • 再設計されたマルチファンクション付ステアリング・ホイール、直感的なタッチ操作機能のセンター・ディスプレイ、BMWパノラミック・ビジョンが、BMWインテリジェント・パーソナル・アシスタントの先進的なボイス・コントロールと相まって、人間とクルマをつなぐ扱いやすい直感的なインターフェイスとして機能する
  • ノイエ・クラッセの美学、テクノロジー、サステイナビリティ、フィロソフィーをスポーツ・アクティビティ・ビークル・セグメントで具現化するモデルとなる
  •  BMWグループ・ミュンヘン工場は2026年より、新工場でノイエ・クラッセ・セダンが生産される
  •  最新のデザイン・コンセプト「BMW Vision Neue Klasse(ビジョン・ノイエ・クラッセ)」のインテリア
  • 次世代BMW iDriveを搭載する
  • Neue Klasseに初搭載予定のBMW Panoramic Visionで世界をリードする
  • ミュンヘン工場はBMWの中核的な役割を担っており、1960年代と同様に、ノイエ・クラッセによってふたたび基盤を構築し、それをベースに工場自体が生まれ変わろうとしている
  • E113型 ノイエクラッセ
  • ノイエ・クラッセが1960年代の発売当初から大成功を収めたことは、BMWの歴史における数々の変遷の中でも重要な意味を持っている
  • ノイエ・クラッセは、ハンガリーのデブレツェン新工場とミュンヘン工場での生産開始後、中国の瀋陽とメキシコのサン・ルイス・ポトシの工場でも生産される
  • BMWグループ・ビジョン・ビークル、Neue Klasse SAVモデルを初公開。BMW Vision Neue Klasse X(ビジョン・ノイエ・クラッセ・エックス)

BMWノイエ・クラッセの過去と現在、そして未来

「新しいクラス」を意味する「ノイエ・クラッセ(Neue Klasse)」。BMWにとってこの名を冠したクルマの大成功が、BMWだけでなく世界のサルーンに計り知れないほどの大きな影響をもたらしました。そんなノイエ・クラッセの歴史を振り返りながら、未来に向かうこのクルマについて解説していきます。

BMWの救世主! 元祖ノイエ・クラッセとは?

「ノイエ・クラッセ(Neue Klasse)」。このドイツ語の言葉をそのまま和訳すれば「新しいクラス」となる。しかし、BMWの世界では一台の歴史的名車、そして次世代を占うコンセプトカーのことを指して使われる言葉となる。

1961年のフランクフルト・ショーに元祖ノイエ・クラッセ「1500」が登場するまでのBMWは、まさに「新しいクラス」、そして新しい価値を求める苦悩の真っ只中にあった。しかし、そののち訪れたノイエ・クラッセの大成功が、結果的にはBMWに、あるいは世界のサルーンに計り知れないほどの大きな影響をもたらすことになったのは、現代では周知の事実。同時代の常識を凌駕する高性能と、ドイツ製の面目躍如となる素晴らしい品質で、当時のセダンのグローバルスタンダードを大幅に引き上げたのである。

第二次世界大戦が、未曾有の悲劇とともに終結して間もない頃。西側に残ったBMW社は、戦争の惨禍とその後の経済危機によって貧困に喘いでいた欧州の経済状況を顧みない、ある意味無謀とも取れるような高級化路線を推し進めていた。そして501/502-V8などの高級サルーンを次々と送り出して、手痛い失敗を喫してしまう。

さらに、この失地を回復せんとばかりに打ち出した高級スポーツカー503/507の営業的失敗がBMWの台所事情に重大な打撃を与えていたのは、1500リムジーネ登場のわずか数年前、1950年代末頃のことであった。このとき会社は破綻一歩手前と見られ、西ドイツ政府主導でダイムラー・ベンツ社との吸収合併計画も進められていたという。

ここで登場するのが、現在もなおBMW社の筆頭株主であるクヴァント家。その資金援助を得たBMWは、イセッタ系と同じく二輪車用フラットツインを搭載したスタイリッシュな小型車「700」をヒットさせ、ようやく復活の兆しを見せ始めることになる。そして、BMW首脳陣が次なる手立てとしたのが、革新的な中型セダン「1500」だった。

ホフマイスターキンクの開祖

1500では開発段階から「ノイエ・クラッセ」をキーワードとし、確たる姿勢をうかがわせた。これは、従来同じカテゴリーで製作されたいかなるサルーンと比較しても、走行性能や操縦性、快適性、さらには安全性に至るまで遥かに上回っているため、もはや新しいクラス別けが必要との姿勢をアピールしたキャッチコピーだった。

しかも、彼らの自信に満ち溢れたコミットメントは、1960年代初頭の自動車業界の技術レベルにおいては、すべて真実と認めざるを得ないものであった。

ノーズを低めるとともに整備性の向上のため30度左傾された新設計の水冷直列4気筒エンジンは、軽合金製SOHCヘッドで燃焼効率の高いクロスフローを実現。ベースモデルの低いチューンでも80psの最高出力を達成していた。

くわえて、この高性能エンジンをフロントに左傾して搭載、リアを駆動するというレイアウト。あるいは前:マクファーソン・ストラット/後:セミ・トレーリングアームの4輪独立サスペンション。高剛性のモノコックボディなどの基幹技術は、21世紀を迎えた現代のクルマとしても、なんらの言い訳も無く通用するもの。さらには、今なおBMW各モデルのCピラーに設けられているデザインアイコン「ホフマイスターキンク」も、開祖は1500だった。

こうして1962年10月からデリバリーが開始された元祖ノイエ・クラッセは、BMWの期待に応えて同社始まって以来の大ヒットとなったのだ。

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