サイトアイコン AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

バラしてわかったゴブジ号の中身! トランスミッションに異変あり?【週刊チンクエチェントVol.33】

フィアット「500L」(1970年式)

もしかしたらこれはラッキー、なのかもしれない

名古屋の「チンクエチェント博物館」が所有するターコイズブルーのフィアット「500L」(1970年式)を、自動車ライターの嶋田智之氏が日々のアシとして長期レポートする「週刊チンクエチェント」。第33回は「ゴブジ号の知られざる過去」をお届けします。

フィアット126用のミッションが搭載されていた

今回のスティルベーシックでの作業は、いろんなところに悪影響を及ぼしてトラブルを誘発してしまう異様な振動の原因を探り、治めてもらうことがいちばんの目的だった。社長と大介さん、ふたりの平井さんが試走してみたり各部をチェックしてみたりした結果、どうやら原因は駆動系にありそうだと睨んで手を入れてくれたわけだが、駆動系に手を入れるには、エンジンとトランスミッションを車体から降ろさなければならない。

というわけで、ゴブジ号は日本に上陸してから初めてエンジンもトランスミッションも車体の外に出て分割されることになったのだが、その作業の行程の中で判明したことがある。

「ミッション、126用に交換されてますね。シンクロ、ついてますよ。ここに“FSM”って刻印されてるでしょう? だから気づいたんです」

という大介さんの言葉は、知らない人にとっては“いったい何のこっちゃ? 日本語で話してくれてオッケだよ”みたいなもんだろう。

まず、126。これはフィアット126という、元は2代目500ことヌォーヴァ・チンクエチェントの後継として1972年に発表され、イタリアでは1982年まで、ポーランドでは1973年から2000年まで作られたクルマのことだ。2代目500を基に開発が進められていて、全長3054mm×全幅1377mm×全高1335mm(註:年式によって表記の違いあり)と車体は500よりわずかばかり大きくなったが、ホイールベースは共通。エンジン、ドライブトレイン、フロントサスペンションなど、基本的なメカニズムも500のそれを踏襲していた。

だが、正月のお供え餅のような500の丸っこい姿と異なって、直線的で角張ったスタイリングとされたこと、リアサスペンションがスイングアクスルからセミトレーリングアームへと変更されたこと、エンジンの排気量が594cc(註:のちに652cc、702ccが登場)へと拡大されたこと、トランスミッションにシンクロ機構が組み込まれたことなどから、だいぶ乗りやすくなり、居住性もちょっとばかり良好になった。いろんなところがシンプル極まりないのは500同様だけど、身も心もかなりフツーのクルマに近づいた、みたいな感じだ。

昔はそのスタイリングがフツーっぽくなっちゃってオモシロ味に欠けるなんてほざいてた人も少なからずいたが、今になってみれば1970年代の香りがプンプン漂うイタリアン・デザインは相当に魅力的で、これはこれで素晴らしいと僕は思ってる。

ダブルクラッチを踏まなくてもギアが入る

次に、シンクロ。機構をクドクド説明したり、それがどういう具合に働くのかをナガナガ書き記したりしたらあなたが眠くなっちゃうだろうから凄まじく簡単にいうと、マニュアルトランスミッションの中のギアとギアの回転差を同調させる機構、である。これが備わってるとギアチェンジがスムーズに行えるし、テキトーに(?)シフトスティックを動かしてギアを切り換えてもガッ! とかギッ! みたいなギア鳴りを起こすことがない。

実は2代目500、最終型というべき“500R”の後期になるまで、このシンクロというヤツを持たされていなかった。ゴブジ号は“500L”というそれより前のモデルだから、本来ならノンシンクロであるのが当たり前。なので僕は、“ダブルクラッチ”という現代のクルマを走らせるためにはまったく必要ない、ノンシンクロのクルマ専用といってもいい面倒な技(?)を常に使いながら走らせてた。じゃないと、ガッ! とかギッ! とギア鳴りをさせて、トランスミッションの寿命を縮めることになっちゃうからだ。

ただし500の場合は簡単なサポート機構が備わっていて、ギア鳴りをさせても弾かれちゃうなんてことはなく、ちゃんと次のギアに入ることは入る。でもギア鳴りさせながら走るのは何だか基本的な運転技術ができていないように思われてイヤだし、そもそも業務の上で必要だから若い頃にしっかり訓練したので何の苦もなくダブルクラッチを踏めるし、ゴブジ号を初めて走らせたときからずっと踏んできた。だからまったく気が付かなかったのだ。

どうやらゴブジ号がイタリアに住んでた頃の何代目かのオーナーが、126用のトランスミッションに換装していたようだ。設計の旧い機械なのでていねいに扱ってあげないとギアが鳴ることもあるけど、このシンクロ付きの方が楽っちゃ楽だから、換装したくなった気持ちはわからないでもない。

そして、FSMだ。これはFabryka Samochodów Małolitrażowychの略。直訳すると、小型工場、か。のちにフィアット・オート・ポーランドとなる、ポーランド政府とフィアットの合意の下に誕生した自動車製造会社だ。フィアット126のポーランドでの生産はこのFSMで行われ、もちろんパーツの生産も行っていた。本家フィアットが126の生産をやめた後もFSM(と買収されてからのフィアット・オート・ポーランド)での生産は続けられ、時とともにエンジンやトランスミッションなども進化した。平井社長が資料を紐解いて調べてくれたところによれば、ゴブジ号に組み込まれていた126用ミッションは、ほぼ最後期に近い、最もフツーに近い感じで走らせられる、いちばん運転しやすいタイプなのだそうだ。

僕の場合はシンクロ機構があろうがなかろうがどっちでも構わないし、できる限りいたわりながら走りたいから変わらずダブルクラッチを踏むんだろうけど、でも考えてみたらゴブジ号にはデモカーとしても活躍してもらわないとならないわけで、もちろん旧いクルマに慣れてない人にだって乗って体験してもらいたいわけで。その点を考えると、ダブルクラッチが苦手な人でも転がしやすいというのは大きなメリット。これはラッキーだったと考えるべきなのかもしれないな。

そんなこんなで初めて見るゴブジ号の内部に新鮮な感動を覚え、知らなかったことをエキスパートに教えてもらって、ほんの数時間の滞在ながら楽しい時間を過ごすことのできた夏の午後。僕は来たときの逆の順番で慣れない電車を乗り継いで、目黒のハズレの自宅まで戻ったのだった。

けれど、まだ大変な作業をたくさんお願いしてる。次にゴブジ号に再会できたのは──僕がまたスティルベーシックになかなかお邪魔できなかったというのもあるけれど──それから約2カ月後のことになる。

■協力:チンクエチェント博物館
https://museo500.com

■協力:スティルベーシック
https://style-basic.jp

■「週刊チンクエチェント」連載記事一覧はこちら

モバイルバージョンを終了