今さら語りたい! 1990年代の懐かしのF1ドライバー
スカイライン「GT-R」、ホンダ「NSX」、マツダ「RX-7」など、 近年、1990年代の国産スポーツカーに驚くほどの高値がついて取引されていますが、1990年代はスポーツカーだけではなく、F1を筆頭にモータースポーツも一大ブームでした。国内のF3000でも30台以上のエントリーがあり、予選はA組B組の2組に分かれ、予選落ちも出るほど。観客数が5万人を超えることもあり、F3000専門誌が発刊されるほど人気がありました。もちろん頂点のF1はそれ以上の人気があり、個性的な役者(ドライバー)も揃っていたのです。そうした、1990年代の素敵なドライバーたちを、2024年のF1日本グランプリ前に振り返ります。
マクラーレン・ホンダ
1988年からホンダとタッグを組んだマクラーレンは、1990年代初頭も絶好調だった。
音速の貴公子、アイルトン・セナが1990年、1991年とワールドチャンピオンに輝き、世界中のファンを熱狂させた。セナの魅力は、ストイックさと速さ。66回のポールポジションは、2006年にミハエル・シューマッハに更新されるまで歴代1位であり、モナコでの6勝という記録は破られていない。
また雨のレースでは特に強く、デビューイヤーでトールマン時代の1984年第6戦モナコGPと、型落ちエンジンのマクラーレン・フォードで戦った1993年第3戦ヨーロッパGP(ドニントンパーク)での快走は、伝説のレースとなっている。
ライバルには、「セナ・プロ対決」と言われたアラン・プロストをはじめ、ナイジェル・マンセル、ネルソン・ピケ、そして若きミハエル・シューマッハなど、F1史に残る強豪が揃い、常に彼らと好バトルを演じ勝ち抜いたことで、セナを「史上最高のF1ドライバー」と評する人は多い。
1994年第3戦サンマリノGPで、タンブレロのコンクリートウォールに激突。帰らぬ人となった……。
ウィリアムズ
1984~1987年までホンダのターボエンジンで一時代を築いたウィリアムズは、1989年からルノーエンジンを搭載。鬼才エイドリアン・ニューウェイがシャシーを開発し、アクティブサスペンションやトラクションコントロールなどハイテク装備を武器に、黄金期を迎える。
この時期活躍したのが、ナイジェル・マンセルとアラン・プロストの2人。
「マンちゃん」ことナイジェル・マンセルは、ウィリアムズ・ホンダ時代の1986年、1987年にランキング2位。1991年もランキング2位で、速さはピカイチなのにミスも多く、無冠の帝王と呼ばれていたが、1992年に悲願のワールドチャンピオンに。
苦労人だが、セルフセンタリングで、ハチャメチャなキャラクターが愛され、「大英帝国の愛すべき息子」とも呼ばれ、「荒法師」というあだ名も似合っていた。
一方、アラン・プロストは「プロフェッサー」の異名をとる頭脳派ドライバーの代表格。
4回のワールドチャンピオン、通算51勝(当時最多)のキャリアを誇り、マクラーレン、ルノー、フェラーリと渡り歩き、1993年にウィリアムズでチャンピオンになった後に引退。多くのチーム、ドライバーともめたりしたが、実力は折り紙付き。セナの最大のラインバルだった。
1997年には、フェラーリの伝説的なドライバー、ジル・ヴィルヌーヴの息子、ジャック・ヴィルヌーヴもチャンピオンになっている。