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バブル末期1990年代のF1パイロットを振り返る!「F1日本GP」前に「セナ・プロ対決」からシューマッハまでを懐かしもう

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TEXT: 藤田竜太(FUJITA Ryuta)  PHOTO: Ferrari/Mercedes-Benz/原田了(HARADA Ryo)

ベネトン

カラフルなカラーリングでF1に旋風を巻き起こしたベネトンといえば、1994年、1995年にチャンピオンになった、ミハエル・シューマッハが有名だ。

ドイツ人初の世界チャンピオンだったが、優勝91回、チャンピオン獲得7度とそれまでの記録を次々と塗り替え最強のチャンピオンに。1996年にフェラーリへ移籍し、低迷していたチームの立て直しに成功。2000年から2004年まで5連覇を達成した。「ターミネーター」の異名がある。

1987年にウィリアムズ・ホンダでワールドチャンピオンになったネルソン・ピケは、1990年、1991年にベネトンをドライブ。1990年の日本GPでは優勝もしている。ピケの長女ケリーは、現ワールドチャンピオンのマックス・フェルスタッペンと交際中。

マクラーレン・メルセデス

1997年 ブリヂストンがF1にタイヤ供給を開始。1998年からマクラーレンもブリヂストンを装着し、「フライングフィン」ミカ・ハッキネンがワールドチャンピオンに。

シューマッハとはF3時代から因縁のライバルだったハッキネンは、クリーンな走りと突き抜けた速さが持ち味。1999年もチャンピオンになり2連覇を達成した。この2回のチャンピオンはいずれも鈴鹿サーキット=日本GPで決めている。

フェラーリ

1990年代は、マンセル・プロストコンビでスタートし、その後、ジャン・アレジとゲルハルト・ベルガーのコンビが活躍。アレジは後藤久美子と結婚(事実婚)し、その息子ジュリアーノ・アレジは、レーサーになり日本のレースにも参戦している。

ベルガーは「私生活のワールドチャンピオン」と呼ばれ、女性とジョークと高速コーナーを愛するドライバー。マクラーレン・ホンダではセナの良きチームメイトで、日本人ファンも多い。

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  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • モータリング ライター。現在の愛車:日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)。物心が付いたときからクルマ好き。小・中学生時代はラジコンに夢中になり、大学3年生から自動車専門誌の編集部に出入りして、そのまま編集部に就職。20代半ばで、編集部を“卒業”し、モータリング ライターとして独立。90年代は積極的にレースに参戦し、入賞経験多数。特技は、少林寺拳法。
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