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ロールス・ロイスを創設した20世紀の巨人の人生。破産・倒産・失業を乗り越えたヘンリー・ロイスの波乱万丈のストーリーとは

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TEXT: AMW  PHOTO: Rolls-Royce Motor Cars/RREC

チャールズ・スチュワート・ロールズとの出会い

ロイスの友人であり仕事仲間でもあったヘンリー・エドマンズは、1904年4月にオートモービル・クラブ・オブ・グレートブリテン&アイルランド(後のロイヤル・オートモービル・クラブ、RAC)主催の1000マイル・スライド・スリップトライアルに参加するため、このオリジナルのロイス10H.P.を1台借用した。

エドマンズはこの車に非常に感銘を受けた。これこそが、友人でありクラブ会員でもある人物が、ロンドンに新しくオープンする自動車ディーラーで仕入れるために探していた高品質の英国製モデルであることに気づいた。その友人とは、もちろんチャールズ・スチュワート・ロールズ氏である。

新しいパートナーシップの技術的な責任者として、ロイスの業績は驚異的かつ絶え間ないものだった。1904年の創業から1933年に亡くなるまで、彼はロールス・ロイスのすべての自動車に搭載されるすべてのメカニカルアイテムの初期コンセプトを自ら考案した。本能的で直感的なエンジニアであった彼は、純粋に目で見て部品を評価する不思議な能力を持っていた。

さらなる高みを目指して

需要が高まり、自動車そのものがますます複雑になるにつれ、彼は「問題の洗い出し、変更、改良、洗練」という彼の信条に従う設計チームを設立。そして、チームが製作したものはすべて、不合格にされて作り直しのために送り返されたが、最終的にはロイスによって承認された。現代の自動車製造では、決められた間隔でモデルが発表され、更新され、買い替えられるのとは対照的に、ロイスは何の発表も予告もなく、製品に絶え間ない改良を加えたという。

こうした改良の中には、ワッシャーやホースクリップといった小さなものもあったが、その結果、細部までまったく同じロールス・ロイスのモーターカーは2台と存在しなかった。

このシステムは、ロイスが自らの行動や監督することすべてにおいて卓越性を絶え間なく追求したことと相まって、ロールス・ロイスの自動車を、当時の知識と技術で可能な限り完璧に近い機械にした。

1949年まで、ロールス・ロイスはエンジンとドライブトレインを搭載した「ローリングシャシー」のみを製造していた。しかし、ローリングシャシーにはバルクヘッド(エンジンルームとキャビンを隔てるパネル)とラジエターが含まれており、少なくとも部分的には、完成した自動車の全体的なプロポーションを決定するものだった。几帳面で、探究心が旺盛で、努力に貪欲だったロイス。ロイスのエートスは、120年経った今もなお、彼の名を冠した会社に影響を与え、鼓舞し続けている。

AMWノミカタ

今回はヘンリー・ロイスに関するニュースを紹介したが、ロールス・ロイスでは創業に影響を与えた人物の誕生日に合わせ、このような人物紹介のニュースを今後も発信していくという。ラグジュアリーブランドには必ず創業者の想いが脈々と受け継がれているものである。そんな物語を語り継ぐことでブランドの価値が上がっていくのだと感じさせられた。

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