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RE雨宮のGTマシンを再現したマツダ「RX−7」に込められた想いとは? 雨宮代表と作った1台は「一生大切に乗り続けます」

1995年にRE雨宮が全日本GT選手権に初参戦したマシンをモチーフに製作

生粋のロータリーマニアが選ぶ最も思い出深いマシン

いつの時代もロータリー乗り、そしてセブン乗りにとってモータースポーツは憧れの世界。レースの歴史を振り返ると、白熱のバトルを繰り広げた歴戦の勇車たちの忘れられない戦いが存在しました。ここで紹介する安東泰弘さんも、自ら走ることが大好きなセブン乗りで、自宅には仕様の異なる様々なマシンを所有しています。生粋のロータリーマニアとしても有名な「安東セブンズコレクション」から、今回は彼の中で最も思い出深いマシンとして仕上げたマツダのFD3S型「RX-7」を紹介します。

チューニングフリークが沸いた!

このマシンを覚えているだろうか。ブルーとピンクのツートンカラーは1990年代のRE雨宮のレースマシンを象徴するカラーリングだ。そして、このマツダFD3S型「RX-7」は、1995年にRE雨宮が現在のスーパーGTの前身である全日本GT選手権(JGTC)に初参戦したマシンをモチーフに製作されている。

当時の記録を調べると、JGTC参戦車の登録名は「RE雨宮 SuperG RX7」だった。そして、当時のドライバーは竹内浩典選手/松本晴彦選手組である。チューニング業界でその名を轟かせるRE雨宮も、レース業界ではただのプライベートチームでしかなかった。

当然、資金力にも限りがあり、理想のマシンが作れない状態のなかで、ワークス勢を含めた名門チームに真っ向勝負を挑む。そして、なんと参戦初年度の第3戦目にしてGT2クラス優勝、さらに第6戦でも見事な優勝を収め、その年の残り3戦もすべてポールポジションを獲得するという偉業を成し遂げた。

当時のレース業界は、ストリート系チューニングショップのことを認めていないような風潮があった。そんな偏見に対して力を持って圧倒し、ねじ伏せて見せることで、実力を証明したのだから驚くべきことだ。いちチューニングショップが国内トップカテゴリーのレースで暴れまくって優勝する。気持ち良すぎる勝ちっぷりに当時のチューニングフリークは沸いた。

1995年に活躍したGTマシンに乗りたい

実は安東泰弘さんもこの年のレースを観戦し、その活躍を目の当たりにしてRE雨宮とセブンというクルマの魅力にハマってしまったひとり。そこから実際に車両を購入し、RE雨宮製のエアロを装着したマシンを製作し、チューニングも含めてショップに製作を依頼した。また、過去には通常販売されないRE雨宮のデモカーも特別に譲ってもらったこともあった。

そんな彼は、いつかはGTマシンを手に入れたいとずっと構想を練っていたという。それも、自分をセブン乗りへとして導いてくれた、1995年に活躍したGTマシンに乗りたいという願望だ。しかし、さすがにレースマシンを購入できるはずもないので、自ら製作することに決定。

幸い1995年当時のGTマシンは、ストリート用のエアロに若干モディファイを加えた仕様であった。ワイドボディ化が必要だったりと、似ているようで加工する箇所は多かったが、それでも何とか自分が衝撃を受けた憧れのマシンに近づけて作り込むことができたという。

エンジンについてはさすがに真似することが出来ないので、スクート製サイドポート仕様の13B型エンジンを搭載しているが、ボディについては当時の現車に限りなく近いことが自慢。その理由は、RE雨宮の雨宮代表からもアドバイスを受けながら作ったからに他ならない。

実際にレースで使った車両は既に存在していないなかでも、製作の段階では当時を思い出しつつ、雨宮代表もまた楽しみながら一緒にこのクルマを良き方向へと導いてくれたそうだ。

「自宅に行けば他にもセブンはたくさんあるけど、雨宮代表に色々と教わり作ったこのクルマは、自分にとって一番の宝物。だから一生大切に乗り続けます」

と、安東さんは最後に話してくれた。

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