ガンディーニが手掛けたパンテーラ
2024年2月29日、ボナムズがアメリアで開催したオークションにおいてデ・トマソ「パンテーラ 90SI」が出品されました。ノーバ・パンテーラの生産は1994年まで継続されていますが、その間にラインオフされたモデルは、わずかに41台です。ボナムズの調べでは、世界に31台のみしか存在しないパンテーラとは、一体どのようなクルマなのでしょうか。
イタリアとアメリカのハイブリッド構成をもつ
1990年のトリノ・ショーに、デ・トマソは衝撃的なトピックスを用意していた。それは自ら「ノーバ・パンテーラ」とも、「パンテーラ 90SI」とも呼んだ、パンテーラのビッグ・マイナーチェンジ版だ。
バレルンガ、マングスタを経て、本格的な自動車メーカーとしての地位を得たデ・トマソが生み出したパンテーラは、イタリアのギアによるスタイリッシュなボディデザインと(デザイナーのトム・チャーダはアメリカ人であったが)、ジャン・パオロ・ダラーラによるセミモノコック構造のシャシーを採用。そしてフォードの351立方インチ(5763cc)V型8気筒OHVエンジンにホーリー製の4バレル・キャブレターという、まさにイタリアとアメリカのハイブリッド的な構成を持つミッドシップスポーツに仕上げられていた。それは当時のデ・トマソとフォードの親密な関係を物語る事実といえる。
パンテーラはファーストモデルの「L」から、高性能でスパルタンなモデルへと進化を遂げていくが、1974年にアメリカでのフォードのリンカーン・マーキュリー部門の販売ネットワークを使用したセールスが中止された影響もあり、生産台数は性能の向上とは反比例して徐々に減少。だがそれが逆にパンテーラにとっては大きなアドバンテージとなったのか、V型8気筒エンジンの最高出力は最終的にはスタンダードな300psから、トップの350psまでさまざまな仕様が選択できるようにもなった。ダイナミックなデザインのエアロパーツも、1980年代までのパンテーラには欠かすことのできない造形だ。
ノーバ・パンテーラ(新しいパンテーラ)は1984年のトリノ・ショーが正式発表の舞台となった、パンテーラGT5Sの後継車であり、またパンテーラ・シリーズの最終進化型となったモデルでもある。デ・トマソがノーバ・パンテーラの誕生に伴い、それまでのパンテーラの生産を中止したのは当然のことである。
アメリカ仕様の「パンテーラ 90SI」
一気に現代的な姿へと生まれ変わったボディは、先日他界したマルチェロ・ガンディーニの作品。彼はトム・チャーダが描いた基本デザインに最大限の敬意を払いながら特徴的なリアフェンダーや、のちのフェラーリF40を先取りしたかのようなリアウイング、そしてマセラティ シャマルにも見られたボンネット上のウイングなど、実に巧みに自分流のパンテーラをスタイリングしてみせた。インテリアも基本デザインは従来までのものと変わらないが、シートはバケットタイプに変更されるなど、こちらも進化は著しい。
ミッドのエンジンは、伝統の351立方インチのV型8気筒OHVから(すでにGT5Sの時代にアメリカのクリーブランド工場におけるこのエンジンの生産は中止され、デ・トマソはオーストラリア工場から供給を受けていた)、302立方インチ(4942cc)のV型8気筒OHV(同じくアメリカの生産工場の名前からウインザーの愛称で呼ばれる)をベースに独自のチューニングを施したものに変更。最高出力はユーロ仕様で305ps、アメリカ仕様では247psと発表されていた。
ノーバ・パンテーラの生産は1994年まで継続されるが、その間にラインオフされたモデルは、わずかに41台。新しいサスペンション・ジオメトリーやブレンボ製のベンチレーテッド・ディスクブレーキ、ミシュラン製タイヤを組み合わせたフォンドメタル製のアロイホイール、リミテッドスリップデフなど、メカニズムには大幅に手が加えられている。
ちなみにわずか41台が生産されたのみのノーバ・パンテーラのうち、2台はクラッシュ・テストに供され、1台はデ・トマソ・ミュージアムに保管。4台はタルガトップモデルに改造されたという記録が残っている。そしてオリジナルの状態を保ちつつ現存するモデルは、31台のみしか世界には存在しないとボナムズは報告する。
31台のノーバ・パンテーラのうち、今回のアメリア・アイランド・オークションに出品されたモデルは、1991年に生産されたアメリカ仕様。トランスミッションは全生産台数の中で39台のZF製5速MTと、2台のゲトラグ製6速MTの両仕様があったが、出品車は前者の方である。走行距離は出品時の段階で3万3332km。全体的に良好なコンディションで、現在のオーナー、またそれ以前のオーナーによって大切に扱われてきたことが分かる。
参考までにボナムスが、このノーバ・パンテーラに掲げたエスティメートは31万ドル〜36万ドル(邦貨換算約4620万円〜5360万円)。今回は残念ながら落札者は現れなかったが、このあたりの価格帯が今後の取引ではひとつの目安となることは、どうやら間違いないようである。