高校生の頃にひと目惚れしたキットカーと運命の出会い
未来感たっぷりのスーパーカーの正式名称は「パーヴィス ユーレカ」。恐らく初めて目にするという人が多いのではないでしょうか。1975年にオーストラリアのコーチビルダーによって、キットカーとして製造されたものです。国内に唯一現存する1台と思われるこのクルマは、オーナーの“りゅうちゃん”さんの手によって近未来カーに生まれ変わりました。
生産台数は世界で700台ほど
まるでひと昔前のスーパー戦隊ヒーローに出てきそうなルックスに心躍らされるマシン。頭上に持ち上がるキャノピーのギミック感たっぷりな作り込みもたまらない。現代のスーパーカーにも負けないカッコよいスタイリングだが、実は1975年に製造されたクルマである。
記録を調べると、1974年から1990年代初頭にかけてオーストラリアのパーヴィス・カーズが製造していた「パーヴィス ユーレカ」というキットカーで、生産台数は世界で700台ほど。そのうち日本国内に入って来たのは数十台で、おそらく現存するのはこのクルマのみと思われる。ちなみにこれは1971年にイギリスで誕生したキットカー「ノヴァ」をライセンス生産したものだ。
オーナーの“りゅうちゃん”さんとパーヴィス ユーレカとの出会いは、高校生の頃だった。“りゅうちゃん”さんは幼い頃からクルマ好きで、いつかショーに出せるようなカスタムカーを作りたいと考えていた。そんなタイミングで世界中に存在するキットカーをインターネットで知り、たまたま見つけたパーヴィス ユーレカ のスタイルにひと目惚れ。このクルマが欲しくてたまらなくなったという。
ただ、このクルマは希少車ゆえに簡単に探し出すことが難しく、苦労の連続。現車すら見たことがないクルマだったが、どうしても手に入れたくて高校の3年間、さらに大学の4年間、そして社会人になってからもパーヴィス ユーレカをひたすら探し続ける日々を送る。相場なんてわからないので、いくらで販売されるかもわからない。そんな中、ひたすらパーヴィス ユーレカのことを考え、とにかく現車を見たい、そして現実的な金額なら購入したいという思いを貫き続けたというのだから、その惚れ込み具合には脱帽だ。
レストアが必要な状態の不動車だった
こうした想いが通じたのか、就職のため引っ越した先のカーショップで、偶然にもパーヴィス ユーレカを発見。まさに運命的な出会いに感動したものの、車両の傷みは激しく、レストアが必要な状態の不動車だった。そのため購入可能かどうかを確認してみたところ、先客がいて、レストランに展示するためのオブジェとして話が進んでいるところだった。
しかしどうしても手に入れたいという強い思いが伝わり、なんとか譲ってもらえることになった。その提示された販売価格はというと、現状売りで160万円ほど。修復前提で考えていたため、むしろその金額は思っていた以上に安くお買い得と感じて即購入を決めた。ついに憧れ続けたパーヴィス ユーレカを手に入れることができたのだ。
それからというもの修復の日々が続く。クルマ好きである父にも協力してもらい、経験豊富な的確なアドバイスをもらいながら修復がスタート。よくよく調べてみると水没車であることがわかり、エンジン、トランスミッションはもちろん、あらゆる部品が使い物にならない状態だった。
もともとがキットカーであるパーヴィス ユーレカは、空冷のフォルクスワーゲン「タイプ1(ビートル)」をベースに製作されている。そのため、機能系部品も国内流通のリプロパーツ、あるいはリビルトパーツを使うことができたのが幸いだった。ただ、その修復箇所はとても多く、走行できるようになるまでの道のりは果てしなく長かったそうだ。
近未来カーに生まれ変わる
“りゅうちゃん”さんは修復の過程で、このクルマをさらにイジッて「近未来カー」として作り込むことにした。キットカーの特殊性を活かすべく施したボディリメイクは、パーヴィス ユーレカのラインを残しつつ、ワイドフェンダー化させ、さらにウイングも独自に作り込み、よりレーシーなデザインに仕上げた。モチーフにしたのは子どもの頃に観ていた『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』というアニメだった。
また、コクピットを覗くと、インテリアもきっちり作り込んでいる。アナログ感を打ち消すべくモニターやプッシュボタンを設置して、さらにそれを収めるコンソールも現車に合わせて製作している。
このクルマに乗り込むときにはキャノピー・ドアを持ち上げ、体を滑り込ませる。この一連の動作をもっとカッコよく演出するために、手動式からリモコンを使用した電動オープンスタイルに変更した。ドアを開けるときは電動で、閉めるときは手動に設定。コスト削減・トラブル防止の意味もあるが、垂直ドアを閉めるアナログ的な動作があった方が気分が盛りあがる、というのも理由になっている。
パーヴィス ユーレカは、“りゅうちゃん”さんの手によってまさに唯一無二のスーパーカーに生まれ変わった。しかも国内仕様として令和のカスタムを施し、ドリームマシンとして。ここから先、彼の情熱の結晶であるマシンは、その進化を止めることなく時代に合わせて歩んでいくことだろう。