西部劇のような街オートマンを歩く
広大なアメリカを東西2347マイル(3755km)にわたって結ぶ旧国道「ルート66」をこれまで5回往復した経験をもつ筆者が、ルート66の魅力を紹介しながらバーチャル・トリップへご案内。イリノイ州シカゴから西に向かい、アリゾナとカリフォルニアの州境へ近づいてきました。今回は小さいながらもゴールドラッシュ時代の雰囲気を今に伝える、オートマンの街を紹介します。
金山で栄えた時代からゴーストタウンを経て、観光地として復活
細く曲がりくねったワインディング・ロードを抜けると、目の前に現れるのは西部劇から抜け出したような街並みだ。前回は簡単な成り立ちに触れた程度の、オートマンについて改めて解説してみたい。
まず名前の由来だがいささか血生臭く、1851年にこの近辺で誘拐された少女、オリーブ・オートマンが起源とのこと。西へ進んでいた開拓者の家族だった彼女だが先住民にとっては侵略者でしかなく、誘拐されてからは別の部族に売り渡されるなど数奇な運命を歩んだという。その際に顔へ刺青をされるが特に虐待というわけではなく、彼らの習慣であり家族として認めた証でもあったらしい。なお1851年に14歳で誘拐されたオリーブは、1856年に解放され天寿を全うしている。
そして前回に書いたとおり1863年になると金が発見され、20世紀になり採掘の技術が進化するにつれ栄えていく。1915年には当時の価格で1000万ドルに匹敵する金鉱を掘り当て、本格的なゴールドラッシュを迎え人口は3500を超えたという。一時はアメリカ西部で最大の金山とさえ呼ばれたオートマンだが、1924年に鉱山の閉鎖が決定し第2次世界大戦が始まってからは、軍需用の金属を優先するため政府により閉山を命じられてしまう。戦争が終わっても金山が操業を再開することはなく、インターステートの完成で交通の主要ルートからも外れ、1960年代はゴーストタウンと変わらない有り様だった。
しかし往年のマザー・ロードがヒストリック・ルート66として復活を遂げ、さらに近隣のカジノ・シティであるラフリンが人気となったことから、手近な観光地として注目されるようになり徐々に賑わいを取り戻していく。
現在は居住する人の数こそ50に満たないながら、短いメイン・ストリートにさまざまな店舗が並び、昼間は駐車場に困るほど大勢の人が訪れている。雰囲気は2006年まで栃木県にあった「日光ウェスタン村」のようだが、オートマンは実際に人々が暮らしていた歴史の古い街であり、ゴールドラッシュで一攫千金を狙う荒くれ者も多かったのだろう。繁栄していた1900年代の前半に建てられた刑務所や売春宿、本物かどうかは不明だが古い絞首刑台まで残されている。