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自由に闊歩するロバたちはゴールドラッシュの名残り!? オートマンは街まるごとテーマパークのような観光スポットです【ルート66旅_49】

自由に闊歩するロバたちはゴールドラッシュの名残り!? オートマンは街まるごとテーマパークのような観光スポットです【ルート66旅_49】

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TEXT: 佐藤 圭(SATO Kei)  PHOTO: 佐藤 圭(SATO Kei)

  • 何度か日没後にオートマンへ着いたがロバの姿はまったく見えず。夜は山へ戻ってのんびり過ごし、朝になると「出勤」するのだろう
  • どのお店でも売っているロバの餌。人懐っこく擦り寄られると思わず何かあげたくってしまう。躊躇せずに買える価格の設定も巧みだ
  • クラーク・ゲーブルとキャロル・ロンバードが泊まったオートマン・ホテル。彼らの部屋は2階で中に入れないが見学するだけなら無料だ
  • お気に入りの手作りキャンドル店。必ず寄っていたが検索しても情報がまったく出てこない。もしかして閉店してしまったのだろうか
  • オートマンからトポックへ向かう途中。そびえ立つ岩山が気に入り、レンタカーのマスタング・コンバーチブルを停めて記念撮影した
  • コロラド川が近くなると湖や沼が増えてくる。標識の「キャットフィッシュ・パラダイス」は名前のとおりナマズがよく釣れるスポットか?
  • これは西から東を見たときの看板。インターステートと同化した橋を渡り、今のヒストリック・ルート66が始まることを教えてくれる
  • トポックは町や村にも満たない「非法人地域」ながら、手前のゴールデン・ショアはリゾート地らしく宿や飲食店がいくつも存在する
  • 映画『イージー・ライダー』の冒頭。主人公ふたりが走り出すと写真の白い橋が見える。公開から半世紀が過ぎた今も風景はほぼ同じ
  • 窓越しなので不鮮明な画像だが、州境を越えるにはインターステートしか手段がないので仕方ない。いよいよカリフォルニア州に突入
  • いつも多くの観光客で賑わうオートマン。運がよければ店先に路上駐車できるが、公営のパーキングがあるのでそこを使うほうが無難
  • 寸劇が始まると人だかりができクルマの通行もできなくなる。会話はもちろん英語だがジェスチャーなどで何となく意味は通じるはず
  • 街を闊歩するロバ。みんなよく懐いており可愛らしい。朝にはしっかり片付けられているが、フンがそこらじゅうにあるので要注意だ

西部劇のような街オートマンを歩く

広大なアメリカを東西2347マイル(3755km)にわたって結ぶ旧国道「ルート66」をこれまで5回往復した経験をもつ筆者が、ルート66の魅力を紹介しながらバーチャル・トリップへご案内。イリノイ州シカゴから西に向かい、アリゾナとカリフォルニアの州境へ近づいてきました。今回は小さいながらもゴールドラッシュ時代の雰囲気を今に伝える、オートマンの街を紹介します。

金山で栄えた時代からゴーストタウンを経て、観光地として復活

細く曲がりくねったワインディング・ロードを抜けると、目の前に現れるのは西部劇から抜け出したような街並みだ。前回は簡単な成り立ちに触れた程度の、オートマンについて改めて解説してみたい。

まず名前の由来だがいささか血生臭く、1851年にこの近辺で誘拐された少女、オリーブ・オートマンが起源とのこと。西へ進んでいた開拓者の家族だった彼女だが先住民にとっては侵略者でしかなく、誘拐されてからは別の部族に売り渡されるなど数奇な運命を歩んだという。その際に顔へ刺青をされるが特に虐待というわけではなく、彼らの習慣であり家族として認めた証でもあったらしい。なお1851年に14歳で誘拐されたオリーブは、1856年に解放され天寿を全うしている。

そして前回に書いたとおり1863年になると金が発見され、20世紀になり採掘の技術が進化するにつれ栄えていく。1915年には当時の価格で1000万ドルに匹敵する金鉱を掘り当て、本格的なゴールドラッシュを迎え人口は3500を超えたという。一時はアメリカ西部で最大の金山とさえ呼ばれたオートマンだが、1924年に鉱山の閉鎖が決定し第2次世界大戦が始まってからは、軍需用の金属を優先するため政府により閉山を命じられてしまう。戦争が終わっても金山が操業を再開することはなく、インターステートの完成で交通の主要ルートからも外れ、1960年代はゴーストタウンと変わらない有り様だった。

しかし往年のマザー・ロードがヒストリック・ルート66として復活を遂げ、さらに近隣のカジノ・シティであるラフリンが人気となったことから、手近な観光地として注目されるようになり徐々に賑わいを取り戻していく。

現在は居住する人の数こそ50に満たないながら、短いメイン・ストリートにさまざまな店舗が並び、昼間は駐車場に困るほど大勢の人が訪れている。雰囲気は2006年まで栃木県にあった「日光ウェスタン村」のようだが、オートマンは実際に人々が暮らしていた歴史の古い街であり、ゴールドラッシュで一攫千金を狙う荒くれ者も多かったのだろう。繁栄していた1900年代の前半に建てられた刑務所や売春宿、本物かどうかは不明だが古い絞首刑台まで残されている。

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