ロールス・ロイスに秘められた愛の物語
ロールス・ロイスは今日のブランドを作り上げた歴史的な人物に焦点を当て、その誕生月に紹介しています。第3弾となる今回スポットライトを当てられるのは、「スピリット オブ エクスタシー」のマスコットのモデルと言われた、強く、知的で、自信にあふれ、そして、複雑な人間ドラマの中で極めて重要な役割を果たした女性、エレノア・ヴェラスコ・ソーントンです。
重要な役割を果たした女性とロールス・ロイスの繋がり
エレノア・ヴェラスコ・ソーントンは1880年4月15日、ロンドン南西部のストックウェルで生まれた。彼女はグレートブリテン&アイルランド自動車クラブ(後のRAC)の事務総長であり、チャールズ・スチュワート・ロールズ名誉会長のビジネスパートナーでもあった、クロード・ジョンソンのアシスタントとして働いていた。
エレノアは、チェルシーのキングスロードにあるザ・フェザントリーに部屋を借りた。当時、この建物は芸術家たちのコロニーとして栄えていた。ちなみに後の1930年代には、地下がレストラン兼飲酒クラブとなり、画家のオーガスタス・ジョンやフランシス・ベーコン、詩人のディラン・トーマス、伝説的俳優のハンフリー・ボガートらが常連だった 。
このようなボヘミアンな環境の中で、エレノアは驚くべき二重生活を送っていた。昼はエグゼクティブ・アシスタントとして、そして夜はアーティストのライフモデルとしてである。彼女が定期的にポーズをとっていたひとりが、才能ある彫刻家兼イラストレーターのチャールズ・サイクスだった。エレノアはサイクスのミューズ(創作のインスピレーションをもたらす女性)だった。
1902年、エレノアの人生が大きく変わる。その年、ロンドンから100マイル(約160km)近く離れたハンプシャーのニューフォレストのはずれで、ジョン・ウォルター・エドワード・ダグラス=スコット=モンタグ(モンタギューと表記することも)なる人物は大きな問題を抱えていた。彼は将来、ボーリューの第2代モンタグ男爵の称号を得る予定だったが、非の打ちどころのない血筋と輝かしい将来性にもかかわらず、つねに資金不足に悩まされていた。そして、彼の人生における最大の情熱の対象は自動車であった。
幸いなことに、モンタグにはジャーナリズムの才能があった。そこで彼がひらめいた解決策は、英国における自動車専門誌の先駆けとなる『カー・イラストレイテッド』を創刊することだった。モンタグは、執筆、編集、出版は自分で行うことができたが、画像についてはプロのイラストレーターが必要だった。歴史によくある奇妙な偶然が重なり、彼が最終的に雇ったのがチャールズ・サイクスだった。
モンタグの自動車仲間にはクロード・ジョンソンがいた。彼を通じてエレノアに出会ったモンタグは、彼女の知性に一瞬にして魅了され、すぐに彼女を引き抜き、自分の雑誌のオフィス・マネージャーの座をオファーした。エレノアはそれを受け入れ、貴族的な発行人と14歳年下の新しい同僚は、すぐに長い秘密の情事に走った。
その偶然によりイラストレーターのサイクスとエレノアは、『カー・イラストレイテッド』誌の同僚として突然一緒に職場をともにすることとなった。