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ロールス・ロイスのマスコットのモデルとなった女性は誰? 14歳差の秘められた愛の物語に由来していました

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TEXT: AMW  PHOTO: Rolls-Royce Motor Cars

ロールス・ロイスのマスコットは秘密の愛の象徴

そして、この時期に、サイクスはモンタグのロールス・ロイス シルバーゴーストのマスコットを制作したという。「ザ・ウィスパー」と名付けられたそれは、人差し指を唇に当てた、はためくローブを着た若い女性の小さなアルミ像だった。このマスコットが、サイクスから彼の友人であり雇い主であるモンタグへの感謝の印であったのか、あるいはエレノアの発案で彼女の恋人であるモンタグへの贈り物として作られたのかは謎のままである。真偽のほどはともかく、モンタグは1929年に亡くなるまで、所有するすべてのロールス・ロイス車にこのマスコットを飾っていた。おそらく、長い間秘密にしていたエレノアへの愛を控えめに示すためだったのだろう。

悲劇的なことに、エレノアは1915年にP&O社の客船SSペルシャ号が地中海で沈没した際に溺死した数百人の中に含まれていた。モンタグはひと握りの生存者のひとりで、肩を骨折し、ひっくり返った救命ボートの上で3日間漂流した。

彼はまた、失恋の痛手も負っていた。失意のどん底にいた彼は、エレノアを失った悲しみを完全に癒すことはできなかった。しかし、彼がロールス・ロイスのモーターカーで旅するときはいつも、彼女は精神的に彼とともにあったのである。

AMWノミカタ

サイクスのミューズであり、モンタグの隠れた恋人であったエレノアが住んでいたキングスロードは、当時もアーティストたちが集まる場所であったが、1960年代のUKパンクカルチャーの発祥の地としても有名である。彼女の部屋のあったザ・フェザントリーは芸術家で室内装飾家のアメデ・ジュベールが当時オーナーであったが、後年、クリーム時代のエリック・クラプトンもここで生活している。芸術家たちに囲まれた刺激的な生活を送っていたことは容易に想像ができる。

ロールス・ロイスは「ミューズ」と呼ばれるアートプログラムを展開している。技術とコンセプトの限界を超えようとするブランドと同じ情熱を持つアーティストとのコラボレーションを通じてクリエイティビティを育むのが目的ということだ。ロールス・ロイスは「限界のない想像力の代名詞」と自らを称しているが、その考えはエレノアの時代から受け継がれてきたのではないだろうか。

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