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アイルトン・セナは「マールボロ」だけでなく「JPS」のF1にも乗っていた!! 没後30年を記念して3台のF1とホンダ「NSX-R」が集まりました

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了(HARADA Ryo)

マクラーレンMP4/5B・ホンダ

白地に力強く赤いストライプが映えるマールボロ・カラーに塗られた2台のマクラーレンですが、カーナンバー27は1990年シーズン向けのマクラーレンMP4/5Bでターボエンジンの最終年となった1988年に16戦15勝とシーズンを圧倒したMP4/4をベースに1989年のMP4/5、そしてこの年のMP4/5Bと発展してきたシャシーに、前年の1989年からホンダの3.5L 72度V10 NA(自然吸気)エンジンを搭載しています。

前年度、同じチーム内でチャンピオン争いを展開し、この年にはライバルのフェラーリからF1GPに参戦していたアラン・プロスト選手と、2年連続でチャンピオン争いを展開し、セナ選手が1988年に次いで2度目のワールドチャンピオンに輝いています。

マクラーレンMP4/6・ホンダ

もう1台のマクラーレン、カーナンバー1は1991年シーズン向けのMP4/6で、前年までに引き続いてホンダの3.5L NAエンジンを搭載していますが、MP4/5Bに搭載されていた72度V10 NAに替えて、究極のエンジンとされた60度V12のRA121Aが搭載されていました。セナ選手は開幕4連勝を飾るなど年間7勝を挙げて前年に続き3度目のワールドチャンピオンに輝き、マクラーレン・ホンダも4年連続のコンストラクターズチャンピオンとダブルタイトルに輝いています。

ホンダNSX-R

そんな彼のメモリアルな3台のF1GPマシンとともに展示されていた1台のロードカーは、セナ選手がロードカーとして唯一開発に携わったホンダNSX-Rでした。鈴鹿で開催されていた日本GPの決勝翌日に、同じく鈴鹿サーキットで開発途上のNSXプロトタイプを試乗したセナ選手は「剛性が足りないね」とコメントしていたようですが、ホンダがこのシーズンを限りにF1GPから撤退することを発表していた1992年の鈴鹿GPの直後に開発最終段階のNSX-Rをドライブした後、コクピットから降りてくるなり「Comfort(快適だね)」とコメント。

サーキットを走って快適と感じられるクルマを目指していた開発リーダーの上原繁さんは「(セナ選手は開発コンセプトを)分かっているな」と納得し微笑んでいたそうです。

クルマ以外ではセナ選手が着用していたレーシングスーツやヘルメットも展示されていて、古くからのファンだけでなく、現役時代のセナ選手を知らない若い人たちにも大きな関心を呼び起こしたことでしょう。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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