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ガンディーニを偲んで『ティーポ』創刊編集長の「オートモビルカウンシル2024」放浪記…1台のクルマが青春と人生の道しるべを示してくれた

ランチア ストラトスHF ストラダーレ(1975)

また舞い戻ってきた、あの頃に

2024年で9回目の開催となる「AUTOMOBILE COUNCIL 2024(オートモビルカウンシル)」が、4月12日〜14日に千葉県・幕張メッセで開催されました。古今東西のヘリテージカーから最新EVまで展開されたイベントを、モーター&マリン・ジャーナリストの山崎憲治氏がレポートします。日本カー・オブ・ザ・イヤーの評議委員も務める大ベテランの目に、会場はどう映ったのでしょうか。

故マルチェロ・ガンディーニ追悼展示が急遽開催

「クルマを超えて、クルマを愉しむ」。

まずは会場を見下ろす。さる3月13日(水)に永眠した奇才、伝説のカーデザイナー、マルチェロ・ガンディーニ(イタリア/享年85歳)を偲んだ展示に吸い寄せられる。彼が生誕した1938年は、世界のカーデザインをリードするデザイナー3名が誕生している。イタルデザインのジョルジェット・ジウジアーロ、ピニンファリーナのレオナルド・フィオラバンティ、そしてベルトーネのマルチェロ・ガンディーニ。その後のカーデザインの金字塔を打ち立てる3名、歴史の同時性か。

マルチェロ・ガンディーニの作品が間近に並ぶ。1966年に登場したランボルギーニ「ミウラP400」は、ジャン・パオロ・ダラーラのエンジニアリングによるミッドシップ横置きV12エンジン。ミウラのそのフォルム、流れるような造形美に驚いたものだ。その2年後にランボルギーニ「エスパーダ」が登場する。

よみがえるエスパーダとの思い出

深い青のランボルギーニ エスパーダ。あの時代の記憶とともにその時代に迷い込む。どこまでも低く限りなく長く、そのフォルムに懐かしさを覚えずにはいられなかった。もうずいぶんと昔、雑誌『ティーポ』創刊時の取材かそれ以前かあいまいだが、大阪に出向いた時に、強烈に記憶しているのはエスパーダに乗ったこと。

ほかのクルマの取材だった。オーナーが迎えに来てくれたのがフロントV12エンジン、3速オートマの4座席エキゾチックカー、ランボルギーニ エスパーダ。本来の対象車の取材を済ませ、エスパーダで伊丹空港までのドライブ。なんとも右リア後方の認識に苦しむものの、痛快なエキゾーストサウンドとともに走り出す。想像以上に軽やか、期待以上に面白く、日常使いにも十分、銭湯にも行ける。フェルッチオ・ランボルギーニの「世界最速の4シーターを」の片鱗を高速道路で垣間見はした。とくにリアシートはホールド性もありしっかりとリアシートをしていた。じつは初期の興奮が収まったのち、興味が失せていったのを思い出していた。

なぜか? 当時すでに、この隣に並ぶガンディーニ作品2台、ランボルギーニ ミウラのあでやかなスーパースポーツカーのインパクトと、続いて1974年に衝撃的な登場を果たしていたウェッジシェイプ、モノフォルム神話の始まりとなるランボルギーニ「カウンタック」の存在が、エスパーダの影を薄くしていたからだ。その頃はそんな空気に満ちていた。

今、会場でそのエスパーダの前に立っている。低く伸びやかに長く、繊細。あらためてそのプロポーションがもたらすフォルムの美しさに気づかされ、ほれぼれとしていた。もう叶わないが、乗りたい衝動に駆られている。そしてミウラ、カウンタックLP400、もう言うまでもない。

ガンディーニの最高傑作と今でも思うストラトス

どうしても立ち止まるのはランチア「ストラトス」。ガンディーニの最高傑作だと今でも思う。思い出すのはアリタリアカラーのワークスストラトスが初めて日本に来た時のこと。ラジオ関東で金曜深夜、土曜AM1時〜5時に生放送していた『ザ・モーターウィークリー』の人気企画、話題のニューモデルを持ち出し芝公園の周辺をぐるりとGCドライバー津々見友彦さんの助手席で体験する「深夜の試乗会」。中継車も出した話題企画だった。そこに登場したのがワークスストラトス。現場は大騒ぎ。ディレクターであるこちらはスタジオを離れられない、乗れずじまい。あの時乗っておけば……乗った聴取者の方が、この会場にいるかもと思い始めていた。伺いたいのはその時の興奮、印象、新鮮な感情だ。

日本ではどこか日陰の身のような扱いだった308GT4

ガンディーニ作のラストを飾るのは1973年パリサロンで登場したディーノ「308GT4」。フェラーリでありながらピニンファリーナデザインではなくベルトーネのガンディーニの作品。フェラーリ初のV8ミッドエンジン2×2。日本ではどこか日陰の身のような扱いだった308GT4。「308GTB/GTS」の流れるような形でなくウェッジシェイプなスタイリングに魅かれていた。1974年ル・マン24時間レースにはNART(ノース・アメリカン・レーシング)の「GT4LM」がエントリー、魅惑的な1台だった。数度試乗したうえに身近な人物が持っていたこともあり食指が動いていたが、他の人に嫁いでいったことがよみがえる。あの時、手にしていれば……。

無目的に国産車たちの間を逍遥する

もうすっかりこのガンディーニ追悼コーナーで堪能してしまっていた。クルマが最も熱く、それぞれの人生に侵入してきた時代。移動の自由をともに過ごすクルマへのこだわり。そのクルマがもたらす甘美で芳醇な時間……。自らが動く自由、公共機関の乗り物での移動と異なり自らのドライビングでのクルマ移動の時間は自分のもの。さまざまなドラマがある。

この場を離れると、蘇ったあの頃が薄れていくような気配に襲われた。無目的に会場を歩いていく。日産ブースには「プリメーラ」、「シルビア」、あ、パイクカーの「フィガロ」がいる。わが盟友ホキ徳田の愛したフィガロ。小説家ヘンリー・ミラーの奥方だった彼女、最近はめったに歌わないが86歳と最高齢のジャズシンガー。偏屈なぐらい自由と愛を大切に人生を生き、古くなっても決して手放さなかったフィガロ。ホキの「オン・ザ・サニーサイド・オブ・ザ・ストリート」が聴こえてきそうだ。

「AE86 BEV コンセプト」、「観音開きクラウン」、「見直そうクルマ作りをそして未来へ」の思いが見えるトヨタブース。ホンダは初代「シビックRS」を展示、今見てもいい。時代が求め始めたのかな。マツダはロータリー愛が全開、熱量がすごい。EVレンジエクステンダーロータリーへ繋げた歴史、1970年のコンセプトカー「RX500」、ミッドシップに10A2ローター搭載の展示。三菱はパリダカ、WRC(世界ラリー選手権)の歴史にこだわる。

さらにぶらぶらと見て回る。バーンファインドの日産「マーチR」。納屋に隠されたかつての息吹。右ハンドルのフェラーリ「365GT/4BB」がなんと2台もある。「512」もだ。

F1でセナ初優勝を飾った1985年JPSロータス97Tルノーの姿も

セナのヘルメットにレーシングスーツ……。アイルトン・セナの特別企画展コーナーに吸い寄せられた。セナ・プロ対決頂点の1990年マルボロ・マクラーレンMP4/5Bホンダに1991年MP4/6ホンダが並び、なんとF1でセナ初優勝を飾った1985年JPSロータス97Tルノーまで並んでいる。セナが鈴鹿を楽しんだ「NSXタイプR」。ホンダ第2期F1ラストイヤーの1992年、日本GP終了後に開発中のNSXタイプRにセナが乗り鈴鹿を楽しんだ。セナのコーナリング時の右足の動き、セナ足、の話題が出始めたころ。このテスト走行の現場に居合わせた。ブルゾンの背中にサインをしてもらった。もちろん今も大切にしている。

懐かしき名車たちに感慨深く思う

ふと目に入り魅かれたのはTHE MAGARIGAWA CLUBブースのフェラーリ「250GTクーペ」。ピニンファリーナの美しいフォルム、やはりこの時代のフェラーリは趣が違う、美神が棲むエレガンス。ランボルギーニ「イスレロ」、フェルッチオ・ランボルギーニ本人のデザイン。悩ましい。奇しくもアルファ ロメオ「モントリオール」の色違いが2台も……。外せない「コルチナロータス」、ロータス「エスプリS1」。ブリストルは、川上 完ちゃんのブリストルを思い浮かべる。もうVW「ゴルフ」誕生から50年かと、歴代ゴルフを眺める。時のたつのは早いものだ。おっと、デ・トマソ「パンテーラ」、マッスルイタリアン。ガンディーニの香りがする。また舞い戻ってきた、あの頃に。

たった1台のクルマが青春とそこからの人生の道しるべを示してくれたあの時代がここにある。あらためて会場を見回した。自動車に人生の同時性を感じる時代が終わる予感がする。この空気は幸せだった思い出か、記憶にとどめようとあがく今なのかもしれないと、感慨深く想いをはせた。

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