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天才ガンディーニが手がけたランボルギーニ「マルツァル」! 4人乗りのガルウイングドアを採用したモデルでした【クルマ昔噺】

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)/Automobili Lamborghini S.p.A.

  • ランボルギーニ マルツァル:ダッシュパネルにも六角形を採用していた
  • ランボルギーニ マルツァル:六角形を意識した内装
  • ランボルギーニ マルツァル:広大なガラスエリアに採用されたガラスは、当時発足間もなかったベルギーのグラバーベル社との共同開発で誕生したもの
  • ランボルギーニ マルツァル:4ドア・フル4シーターで、ドアはガルウイングタイプを採用
  • 1998年にベルトーネを訪れたときの1枚
  • 量産モデルとなったランボルギーニ エスパーダ
  • 1998年にお会いしたヌッチオ・ベルトーネ
  • ランボルギーニ マルツァル:エンジンはミッドシップではなくリアに直6ユニットをマウントしていた
  • ランボルギーニ マルツァル:1967年のF1モナコグランプリでお披露目された
  • 1966年に発表されたランボルギーニ マルツァル
  • ランボルギーニ マルツァル:ルーフに至るまでガラスである
  • 2018年のジュネーブモーターショーに展示されたランボルギーニ マルツァル

初披露は1967年のF1モナコグランプリだった

2024年3月13日、ランボルギーニ「カウンタック」やランチア「ストラトス」のデザインで知られるマルチェロ・ガンディーニが85歳で亡くなりました。今回の「クルマ昔噺」は、ガンディーニが手がけたランボルギーニ「マルツァル」を振り返ります。

じつはフェルッチオ・ランボルギーニは不満を持っていた?

才能を発掘するという点でその目利きぶりを如何なく発揮したのがヌッチオ・ベルトーネという人だった。なにしろイタリアきってのフランコ・スカリオーネ、ジョルジェット・ジウジアーロ、そしてマルチェロ・ガンディーニという3人ものデザイナーを世に送り出したのだから。

1965年11月、ガンディーニはベルトーネのチーフデザイナーに就任する。翌年ランボルギーニ「ミウラ」が発表され、ガンディーニの名声は一気に沸騰するが、本領を発揮したのはそれ以後のことだ。1966年に発表した「マルツァル」は純粋なショーカーあるいはコンセプトカーとしてワンオフされたモデルだが、そのデザイン・エレメントはのちに多くのモデルに採用されている。なかでもまさにこのクルマが下敷きとなったクルマがランボルギーニ「エスパーダ」であった。

2ドア・フル4シーターで、ドアはガルウイングタイプ。エンジンはミッドシップではなくリアに直6ユニットをマウントしていた。ランボルギーニに直6エンジンというだけで非常に珍しいが、このエンジンは4Lのミウラ用V12の片バンクを採用したもので、ジャンパウロ・ダラーラによって作り上げられたものである。

いかにもショーカー的な風情は、ガルウイングドアが骨を除いてすべてガラスで作られていたことや、ルーフに至ってもガラスであること。さらには六角形をモチーフとしたダッシュボードにシルバーに色付けされた4脚の本革シートを装備していた点などで、のちに量産化されたエスパーダでは、リアエンジンはフロントに置き換えられ、ガルウイングドアを含む奇抜なアイデアはすべて普通のデザインに置き換えられていた。

話によればマルツァルを見たフェルッチオ・ランボルギーニはそのガラスエリアに不満を持っていたようだが、ベルトーネがクルマそのものにポテンシャルを見出し、シャシーはガラスに耐える剛性を確保してベルトーネによって仕上げられた。そしてお披露目となったのが1967年のF1モナコグランプリである。当時まだ皇太子であったレーニエ王子は、グレース皇太子妃を隣に乗せ、このクルマをドライブしてコースを走った。

そして反響の大きさを知ったフェルッチオがエスパーダの生産に踏み切ったのではないかとも思われるほどの反応が、当時のモナコではあったという。余談ながら広大なガラスエリアに採用されたガラスは、当時発足間もなかったベルギーのグラバーベル社との共同開発で誕生したものと言われるが、このグラバーベル社は1972年にフランスのダノン(日本ではヨーグルトなどで有名)に買収された。しかし、1981年にダノンは板ガラス部門を分離し売却。これを取得したのが日本の旭硝子(現AGC)で、現在もグラバーベル社はAGC傘下である。

私がベルトーネを訪れたのは1998年のこと。広大な庭に所狭しとコンセプトカーやベルトーネデザインの量産モデルを展示して、ヌッチオ・ベルトーネ氏自身が我々を出迎えてくれた。その中にマルツァルがあった。

残念ながら乗ることはかなわなかったが、モーターショーなどではない日差しの下でこのクルマを見られた貴重な瞬間であった。のちに直6エンジンの音をインターネット上で聞いたが、このエンジンが市販モデルに搭載されなかったことが悔やまれる。3基のウェーバー40DCOEツイン直キャブレターを装備し177ps、179Nmを絞り出していた。

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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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