100年経った今でも耐久性が証明されている
指定された駐車場に並べられたベントレーを見ると、一見同じように見えるモデルもホイールベースの長さであったり、ボンネットの高さであったり、ボディ形状が微妙に異なることがわかる。これはおそらくボディを製造するコーチビルダーごとの違いからくるのであろうが、そんな微妙な違いを見つけるのも面白い。
参加者はみんなとても気さくで快く自身のクルマの説明をしてくれた。
とくに印象的だったのは戦後の「マークVI」のシャシーに「8リッター」のエンジンを乗せ、1934年のダービー時代のシルバーのボディを架装したという1台だ。合計6台しか作られていないこの特別なクルマには、イギリス人の良い意味でのクレイジーさが凝縮されている。
およそ100年前に製造されたとは思えないピカピカのクラシックベントレーの横には、これまたピカピカのダービー時代のサイレントスポーツカーが並ぶ。ダービーベントレーとはロールス・ロイスに買収された1931年以降から戦前までの車両を指すが、小ぶりなボディに静かでなめらかなエンジンはW.Oとは対照的で、日本の道を走るのには最も適したクルマのように思える。やや新しく見えるものの、これでも90年近く前にあたる1930年代のモデルである。このラリーで20日間近く走りきってきたベントレーの堅牢さに驚く。
ベントレーはル・マン24時間レースで1920年代から1930年にかけて5度の優勝を果たしている。参加の目的は単なるスピード比べではなく、長い距離を走ることでの耐久性を証明するためであった。創業してすぐのベントレーがその性能を最も効率よく宣伝をする方法がレースだったというわけだ。
参加者に聞くと軽微なトラブルはあるものの皆このグランドツーリングを楽しまれているという。100年経ったいま再び、当時のベントレーの堅牢さが遠い日本で証明されている。
加須市のワクイミュージアムには、市長をはじめ、観光親善大使、そして多くのギャラリーが集まり、美しいクルマたちや、空気を震わすような力強いエンジンサウンドに囲まれ、まさに時代を超越した異空間の世界を楽しんだ。
ワクイミュージアムのファウンダーである涌井清春氏は、ミュージアムとは文化の継承を行う大事な役割を果たす場所であると日頃から語っている。今回、ラリー参加者もギャラリーもこの時間と空間を大いに楽しんでいる様子を見ると、その役割は十分に果たせているように感じた。
AMWノミカタ
ベントレードライバーズクラブとは1936年に設立された世界最古の自動車クラブである。ポイントはオーナーズクラブではなくドライバーズクラブ、つまり車庫でクルマを磨いているだけではなく、実際に走らせることに主眼をおいているクラブであるということだ。そのクラブの精神は、今回10カ国から30台の車両が集まり、遠い異国の地である日本でメンバーがドライビングを楽しんでいることでも正しく継承されていると思う。そしてベントレーは改めてドライビングカーであり、グランドツアラーだけを作り続けているメーカーであることを実感した。