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生誕60周年! ホンダ「S600」はなぜ生まれた? ニュルでクラス優勝して世界に名を知らしめたブラバム ホンダのコンビとは?【クルマ昔噺】

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: AMW/中村孝仁(NAKAMURA Takahito)

S800のバルジは「飾り」だった!?

S800はその性能をさらに引き上げた。外観の特徴はやはりグリル。当時のデザイナー陣によると、フォード「マスタング」のグリルを参考にしたものだという。また、高性能の証のようにパワーバルジが装備されたが、あくまでも見た目重視のものだったようだ。1959年にホンダに入社し造形部に配属された宮澤 崇は、トライアンフ「TR4」に憧れ、バルジを装備させたがあくまでも飾りだったと述懐している。ほかに伝え聞いたのはキャブレターをクリアするためということだったが、どうやら後付けの理由のようだ。

当時のホンダはこうして本田宗一郎の夢を自分の夢として具現化する活力に満ちていた。1983年に開催された鈴鹿20周年イベントの折、本田宗一郎はかつて自らがドライブしレースをしたカーチス号で鈴鹿を走った。その乗り込みざま、「俺に乗れるかなぁ?」と真顔で私に向かって言われたように感じたが、どうやら隣にいた人に言ったようである。それでも活力のある甲高い声、そして射抜かれるような鋭い眼差しは今も忘れない。

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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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