自分仕様の「GT40」は小さなEVマイクロカー
1923年に第1回大会が開催されて以来、幾多の熱い戦いが繰り広げられてきたル・マン24時間レース。その長い歴史の中でも、とくに印象深いレースのひとつとして語り継がれているのが1966年の第34回大会です。この年フォードが送り込んだ「GT40」が、それまでル・マンで絶対王者として君臨していたフェラーリを下して初の総合優勝。さらにその後、フォードは1969年までじつに4年連続でル・マン制覇を成し遂げました。そんなフォードGT40を小さな「原付カー」として再現してしまったマイクロカーを紹介します。
ガルフ・カラーのル・マン優勝車を再現
「実用的だが華は無い大衆車メーカー」といったそれまでのフォードの印象は、ミシガン州ディアボーンの本社の目論見通りル・マンでの連続優勝によって、若々しくスポーティなブランドイメージに刷新することに成功したといえよう。そして、その立役者となった「GT40」とその派生モデルの一族はフォードにとって、そしてわれわれクルマ好きにとって、忘れ得ぬアイコンとして記憶されたのである。
ちなみに2005年と2017年の2回にわたり、フォード自身が「セルフカバー」的にリリースした「フォードGT」は、もちろん1960年代のGT40がそのオリジンであることは言うまでもなかろう。
こちらでご紹介するのは、そんなフォードGT40をモチーフに製作された可愛らしい原付カー。薄い水色にオレンジのストライプが印象的な「ガルフ・カラー」は1968年、1969年と2年連続でル・マンを制覇したJWオートモーティヴ・エンジニアリングのマシンがまとっていたカラーリングだ。ちなみに1969年のル・マン優勝車のゼッケンナンバーは「6」だが、こちらの原付カーはオーナーがこのクルマを作った時の年齢の「66」となっている。
原付カー・フリークが自作してもちろんナンバー取得済み
「映画『フォードvsフェラーリ』を観て以来GT40が気になって、作っちゃったんですよ」
と語るのは、このクルマのオーナーである中村 清さん。すでにAMWで幾度かご紹介している「原付カー・フリーク」で、他にも多数の原付カーを所有している。20年ほど前の病気の後遺症で右半身が不自由だということを微塵も感じさせない、エネルギッシュなカー・ガイだ。
メーカーが量産する普通乗用車には法規的にも厳格なレギュレーションがあり、個人でクルマを「製造」するとなるとなかなかハードルは高いが、軽便な原付カーの場合はどうなのだろう。中村さんはこう教えてくれた。
「規定さえ満たしていれば、個人で製作したものでもナンバー取得はそれほど大変じゃないんですよ」
もちろんもともとプロのメカニックで、業界内にさまざまなクルマ作りのプロの人脈を持つ中村さんだからこそのセリフだろうが、自分自身で作ったクルマにナンバーをつけて公道をドライブするというのは、なかなか夢のある話だ。
EVだけど「本物のエンジン音」も楽しめる
「この原付フォードGTは既成の電動バギーのパワートレインや足まわりなどのコンポーネンツを流用しつつ、FRPのボディを被せたものです。ボディはフランスのキッズカー・メーカー、Automobile S.C.A.F.社の5/8スケールのボディを参考にしました。ナンバー取得の際に係員にメーカー名や車名を聞かれたので、とっさに“N・S・C GT50”です、と答えました。ナカムラ・スモール・カーズの原付カーってことで(笑)」
サイド開きのFRPボディを持ち上げてシャシーを見ると、モーターやデフなどの駆動系とは別に、エンジンが備わっている。
「これはモーターのアクセル開度に連動して回転が上下するギミックを仕込んだホンダの汎用エンジン。もともと家に転がっていたヤツ。EVだけど、本物のエンジン音が楽しめるようにね」
とのことで、音源としてのみエンジンを搭載してしまう遊び心にも脱帽。
ル・マン・クラシックやグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードなど、海外では貴重なヒストリックカーを本気で走らせるイベントが盛んだが、それらのイベントの「前座レース」として頻繁に開催されているのが、小学生くらいの子どもたちが駆るキッズカーによるレースだ。日本ではまだあまり馴染みがないジャンルだが、中村さん謹製のGT50を見ていると、いずれは日本でもそんな次世代のクルマ好きを育む「レース」ができるんじゃないか、なんて楽しい妄想も広がるのだった。