イタリア製や英国製に引けを取らないスーパーカー
シボレー「コルベット」が70年かけて培った進化の賜物というべき、新たにミッドシップレイアウトを採用した現行型C8コルベットのハイパフォーマンスモデルである「コルベット Z06」。コルベットを取り巻く歴史を誕生前夜から振り返りながら、その走りを西川 淳氏が堪能してきました。
強力なミッドシップ・コルベットの出現
GMとシボレー部門、そして「コルベット」にさほど興味を抱いてこなかった人にとっては、パワートレインレイアウトのコペルニクス的転回(=FRからMRへ)やその理由とされるモータースポーツ活動が、モデルの持つイメージからはかけ離れていると思われたに違いない。「コルベット」といえばアメリカを代表するマッスルスポーツカーで、だからこそFRでなければならず、フェラーリやマクラーレンと同じ土俵に上がるべきではなかった、と……。
それは大いなる誤解だ。もちろんコルベットはその誕生から先代「C7」までFR2シーターであることを貫いてきた。そのロードカー史だけを見れば、そう思われて当然かもしれない。けれどももう少し視野を広くしてコルベットを取り巻く歴史を誕生前夜から俯瞰してみれば、強力なミッドシップ・コルベットの出現は、70年以上前に希代のスポーツカーを生み出した人たちの“夢”の実現であったことを知る。
早くも1950年代前半にオリジナルスポーツカーの生産がビジネスに良い影響を与えるとGMは確信していた。スポーツカーのプロジェクトにゴーサインが出され、ほとんど同時にモータースポーツ活動も始まっている。とくに国内外の耐久レース、その最高峰であるル・マン24時間への挑戦は大きな目標のひとつだった。
当時のGMには数多くのプロジェクトが存在したが、なかでもR-Carsとして知られている一連のCERV(シボレー・エンジニアリング・リサーチ・ビークル)は、レースを見据えたミッドシップカープロジェクトの成果として重要な存在だ。
70年かけて培った進化の賜物
もっとも肝心のレース活動に関していうと、1950年代から1960年代にかけてはアメリカ当局の規制によって自動車メーカーが直接モータースポーツ活動に関わることを禁じていたため、大きな発展をみることはなかった。もちろんル・マン計画も断念。そういう意味で昨今のGMによるル・マン活動は長年の夢を実現するものでもあった。
CERVには、打倒フォード「GT」を目指したレーシングカーや、ロータスと共同で開発した4WDのスポーツカーなど興味深いMRが揃う。1970年代の「エアロヴェット」というロータリーエンジンをミッドに積んだコンセプトカーも美しいMRだった。
そして、ここが肝心なのだけれども、CERVに限らずGMの作った一連のMRコンセプトカーは一様に当時最高レベルのエンジンをミッドに積んでいた。モータースポーツ活動が念頭にあったのだから当然だ。というわけで、ミッドシップとなった現行型「C8」に凄まじいスペックのV8エンジンを積んだモデル、「Z06」の誕生も、GMとコルベットの歴史を紐解けば悲願の成就でしかない。ちなみに初代「Z06」は「C2」最初のスティングレイ時代に登場しているが、レーシングスペックエンジンを積んだ特別なモデル(レースベース車両)であった。
というわけで、コルベットがミッドシップになることも、そしてフェラーリ顔負けの自然吸気V型8気筒DOHCエンジンを積んできたことも、まったくもって“突拍子もないこと”ではなかった。いってみればコルベットが70年かけて培った進化の賜物というわけだ。