宇宙に魅了された技術者とメルセデス・ベンツの関係
今回は意外と知られていない、近代ロケットの父と呼ばれるヴェルナー・フォン・ブラウン博士(1912~1977年)とメルセデス・ベンツの深い関係について紹介します。人類を月に送り込んだアポロ計画で有名なフォン・ブラウン博士ですが、北米のメルセデス・ベンツの取締役であり、1959年の「220Sポントンクーペ」(W180)を愛用していた事実はあまりにも知られていません。
母からもらった望遠鏡により宇宙へ興味を持つようになった
正式な名前はドイツ語でWernher Magnus Maximilian Freiherr von Braunであり、特にFreiherr(フライヘル)は男爵の意味で、von(フォン)とともに貴族出身を意味する。以下本文では、ヴェルナー・フォン・ブラウン博士と記述する。
ヴェルナー・フォン・ブラウン博士は1912年、ドイツ帝国東部ポーゼン(現ポーランド)近郊のヴィルジッツで貴族の家に生まれた。母親から贈られた望遠鏡で天文学と宇宙分野へ関心をもち、ジュール・ヴェルヌやH.G.ウェルズのSF宇宙小説を愛読するという少年時代を過ごした。とくに、ロケットの先駆者ヘルマン・オーベルトの『惑星空間へのロケット』(1923年)を読んでから宇宙への憧れはフィクションではなく現実のものとなり、ロケット力学研究への道を志すようになった(ロケット・ボーイ)。
1934年にはベルリン大学の博士号を取得し、VfR(ドイツ宇宙旅行協会)にも入会。ヘルマン・オーベルトのもとでドイツ軍の液体ロケット開発に携わるようになる。そして、1934年の暮れまでにフォン・ブラウン博士のグループは、2.4km以上の高度に達するロケット2基を打上げることに成功した。第2次世界大戦でドイツ軍が連合国軍に対して劣勢に傾いた1943年、ドイツ国総統のアドルフ・ヒトラーはA-4(ドイツ語でAggregat 4型)ロケットを報復兵器として使用することを決定し、ロンドン空爆に使用された弾道ミサイルもこの頃に造られたものだった(最初の軍用A-4はハンリッヒ・ヒムラーの考えた名前V-2と呼ばれた)。
アメリカ亡命後の活躍
兵器よりも宇宙ロケットを開発したいという思いを抱いていたフォン・ブラウン博士は、ドイツが劣勢になると主要な開発メンバーとともに1945年5月にアメリカへ渡った。
1950年から1956年には、フォン・ブラウン博士は米陸軍から800km弾道ミサイルの開発任務を命じられ、レッドストーン軍需工場で陸軍のロケット開発チームを率いてその名にちなんだ名機レッドストーンロケットを開発した。
1952年、フォン・ブラウン博士は、ロケットが平和的な探検に使用される世界を夢見て宇宙ステーションの概念を発表。そして、ウォルト・ディズニーの宇宙探検に関する3本のテレビ映画の製作に技術監督として参加した。その後、何年も未来宇宙計画に対して多くの大衆の興味を引くことを望み、ディズニー社との仕事を続けた。
事実、アメリカの陸軍弾道ミサイル局(ABMA=Army Ballistic Missile Agency)で開発オペレーション部門長としてフォン・ブラウン博士のチームは、レッドストーンロケットを改良したジュピターCロケットを開発した。
ジュピターCは1958年1月31日、西側諸国として初めての人工衛星エクスプローラ1号の打ち上げに成功。このことは米国の宇宙計画の誕生を告げるものであった。1958年7月29日にはアメリカ航空宇宙局(NASA)が法律で成立。2年後の1960年に、NASAはアラバマ州ハンツヴィルにマーシャル宇宙飛行センターを新設、フォン・ブラウン博士は1960年から1970年まで同センターの初代所長を務めた。
このマーシャル宇宙飛行センターでの大仕事は、1960年に就任したジョン・F・ケネディ大統領の指揮下で計画がスタートした、宇宙飛行士を月に運ぶサターンロケット開発であった。
アメリカ初の有人飛行(1959年)や初めて人類を月に送り込んだアポロ計画(1967年~1972年)など、歴史的なプロジエクトが行われたのもこの時代。とくに1969年7月16日、マーシャル宇宙飛行センターが開発したサターンVロケットがアポロ11号の搭乗員を打上げた時には、ヴェルナー・フォン・ブラウン博士の夢が現実となった。
アポロ計画の過程で6組の宇宙飛行士チームが月面を探索したことは周知の通り。その後、1972年6月にNASAを退職し、1977年6月16日にヴァージニア州で死去した(享年65歳)。火花を散らす米ソ宇宙開発競争において、まさに米国の中心的役割を果たした人物であった。結果、ヴェルナー・フォン・ブラウン博士は1962年にエリオット・クレッソン・メダル、1969年にヴィルヘルム・エクスナー・メダル、1975年にはアメリカ国家科学賞を受賞している。