2年連続でクラス1-2-3フィニッシュした名作の復刻版
昨今のクラシックカー界ではしばしば見られる「レクリエーション(Recreation)」は、いわゆる「レプリカ」から一歩進み、オリジナルに限りなく近い内容でつくられるもの。ジャガーやアストンマーティン、ベントレーなどでは「コンティニュエーション(継続生産車)」などとも呼ばれ、各メーカーが自ら製作・販売しています。2024年4月14日、英国チチェスター近郊のグッドウッド・サーキットにて開催されたエクスクルーシヴなレースイベント「グッドウッド・メンバーズミーティング」の公式オークションとして行われた名門「ボナムズ」社のオークションに出品されたブリストル「450ル・マン」は、まさしくそのレベルで創られたものでした。日本で唯一、世界的にも稀有なブリストル専門ディーラー「ブリストル研究所」にて、2021年の創業当初から「主任研究員」を拝命している筆者が、今回はこの超個性的なレクリエーション車両について解説します。
航空機メーカーが作りあげたル・マン用マシンとは?
第二次世界大戦が終結した1945年。それまで航空機メーカーとして「ブレニム」や「ボーファイター」など数々の名機を輩出してきた「ブリストル・エアプレーン・カンパニー」の社主、ジョージ・ホワイト卿は、戦後の航空機生産縮小で余剰となってしまった優秀なスタッフたちに職務を用意するために、高級乗用車の生産に乗り出すことを決意。その本拠でもあるブリストル市近郊の田舎町フィルトンに、新たに「ブリストル・カーズ」社として分社を果たした。
創成期のブリストル各モデルは、航空機基準で生み出された高度に緻密なつくりに、英国製高級車の伝統を体現したインテリアを両立するなど、独特の魅力を湛えることになるが、何よりその名声を確たるものとしたのは自社製のエンジンであった。戦前に独BMWの名声を築き上げた名エンジニア、フリッツ・フォン・フィードラー技師を招聘して開発された直列6気筒OHVユニットは、1960年代初頭に至るまで世界最良の中型乗用車用エンジンと呼ばれたいっぽうで、レーシングエンジンとしても絶大な評価を得てゆく。
そしてブリストル社は自らもワークスチームを仕立て、当時の航空機技術の粋を投入した個性きわまるマシンを開発。その成果が1954年のル・マン24時間レースに3台体制で実戦デビューを果たしたブリストル「450ル・マン」、通称「エアロダインクーペ」だった。
いくら空力効率を突き詰めたとはいえ、その奇怪ともいえそうなスタイリングはル・マンでも大いに物議を醸したとのこと。しかしスタートから24時間後には、ジャガーやフェラーリなどの並みいる大排気量マシンを向こうに回して総合7-8-9位、2Lクラスを1位-2位-3位でチェッカーフラッグを受けるという大戦果を達成した。
しかも1954年シーズンのワークス450は「ランス12時間」レースにも参戦し、2Lクラスで2-3-4位、総合10-11-12位と、再びチーム順でフィニッシュしている。
そして、エアロダインクーペのキャビンの狭さを訴えるドライバーたちのリクエストに応えるかたちで、ジャガー「Dタイプ」を思わせるオープンボディに改装した450とともに臨んだ1955年のル・マン24時間レースでは、ブリストル450Cのチームが総合7-8-9位、2Lクラスでは1-2-3フィニッシュで再びチェッカーフラッグを受けた。
ところが、ル・マンにおける2年連続の目覚ましい戦果により、ブリストル社の経営陣は「使命を達成した」と表明。レース中に膨大な数の犠牲者を出してしまった1955年の凄惨な事故には関与していなかったにもかかわらず、レース活動から撤退することになった。
その後のスクラップの決定から生き延びたのは、オープンボディの450モデル1台のみで、オリジナルのエアロダインクーペはすべて解体。後世には、素晴らしい記録と強烈な記憶だけを残すことになった。