そのクルマが持つ来歴が価格に反映される
モナコは、いわゆるセレブだけではなく、クラシックカーとモータースポーツの愛好家にとっても夢の国。2年に一度「グランプリ・ドゥ・モナコ・ヒストリーク」が開催されるのみならず、それに付随するかたちでRMサザビーズ社の「MONACO」オークションも大々的に開かれます。7回目を迎えた2024年は、5月10日から11日に、地中海に面した見本市会場「グリマルディ・フォーラム」を舞台とし、往年のF1ワールドチャンピオン、ジョディ・シェクター氏の個人コレクションから現代のハイパーカーに至る115台の「お宝」的なクルマたちが、2日間にわたって競売ステージを飾ることになりました。今回はその出品車両のなかから、AMWが常に注目している「BMW M1」の最新オークション結果についてお伝えします。
かつての悲劇の傑作は、今では最高のコレクターズアイテム
PHEVのスーパーカー「i8」が登場するまで、BMW史上唯一のミッドシップスポーツカーだった伝説のBMW「M1」は、FIA「グループ5」規約による世界スポーツカー耐久選手権において覇権を握っていたポルシェ「935」の牙城に挑戦すべく開発されたモデル。古き良き「3.5CSL」が、宿敵ポルシェ935に対する競争力不足を懸念されていたことから、BMWは直列6気筒DOHC24バルブ3.5Lエンジンに適合する、まったく新しいミッドシップのシャシーを必要としていた。
そこで1970年後半から、BMWのモータースポーツ部門は、まずランボルギーニに助けを求める。ウェッジシェイプのデザインは「イタルデザイン」のジョルジェット・ジウジアーロが担当し、FRP製ボディパネルはイタリア・モデナの「イタリアーナ・レジーナ(Italiana Resina)」社。鋼管フレームは、同じくモデナの「マルケージ(Marchesi)」社。そしてアセンブルは、サンタ・アガータ・ボロニェーゼのランボルギーニ本社にゆだねられるというイタリア頼みのプロジェクトが立ち上がった。
ところが、このM1のプロジェクト推進に手間どり、膨らんだ投資を回収できなかったことが大きな一因となってランボルギーニは経営破綻。紆余曲折の末、1978年4月までにプロジェクトはミュンヘンのBMW社内に差し戻しとなる。そしてM1の生産は、BMWとは縁の深い旧西ドイツの「バウア(Baur)」社に委託されることになった。
ただ、この複雑な生産工程から販売価格が高騰してしまったことも相まって、FIAグループ5の前段階として求められるグループ4が要求する一定期間の生産台数を満たせず、BMWのオプティミスティックなレース計画はとん挫。さらに新車セールスも振るわず、総生産数はBMWの目論見を大きく下回る、総計455台(ほかに454台説、460台説、477台説などが存在する)に終わったという。
しかし現在ではその希少価値も相まって、BMWの歴史に残る重要なピースとして、世界中のファンから熱愛されているというのは、ちょっと皮肉な話ともいえるかもしれない。