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光岡自動車が100台だけ販売した「K-3」とは? 1人乗り原付カーを自分で組み立てる「キットカー」でした【マイクロカー図鑑】

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TEXT: 長尾 循(NAGAO Jun)  PHOTO: 近藤浩之(KONDO Hiroyuki)

わずか100台の「K-3」を入手して自分好みにカスタム

この光岡K-3のオーナーは都内在住の中村 清さん。この他にも多数の原付カーを所有している「マイクロカー・フリーク」である。じつは氏は20年ほど前に病に倒れその後遺症で右半身に麻痺が残るのだが、そんなことを微塵も感じさせないエネルギッシュなカー・ガイだ。氏の所有する他のクルマについては別の記事でもご紹介しているので、もしよろしければそちらの記事もご参照のほどを。

氏の所有する光岡K-3のデビューは2005年のこと。パワーユニットには同時代のホンダ製2ストローク50ccエンジンを流用しつつ、光岡独自のシャシー&足まわり。そこに1950年代のアラード「J2」あたりを連想させるFRPボディを載せている。

そのサイズは全長2500mm×全幅1280mmと、当然ながら原付カーの規格内に収まる小さなもので、もちろん1人乗り。当時限定100台が発売されたと言われるK-3は発売後すぐに完売となったそうで、中村さんもこの個体は名古屋在住の前オーナーから中古で譲り受けたという。

もともとは重機などの修理・メンテナンスを手がけるプロのメカニックという経歴を持つ中村さんは、このK-3入手後にフロントグリルやロールバー、フロントウインドウなどを自分の手で好みの形にカスタムするなどして楽しんでいる。

* * *

クルマ好きの若者が手作りで仕上げたワンオフのスペシャルから始まったバックヤード・ビルダーが、やがてF1の世界チャンピオンにまで上り詰める……なんてロータスやクーパーのようなサクセス・ストーリーとは無縁だが、じつは日本でも中村さんをはじめとする粋人たちが、ささやかながらそんな「原寸大プラモデル趣味」を楽しんでいる様子を取材させていただき、すっかり幸せな気持ちになったのだった。

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  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 1962年生まれ。デザイン専門学校を卒業後、エディトリアル・デザイナーとしてバブル景気前夜の雑誌業界に潜り込む。その後クルマの模型専門誌、自動車趣味誌の編集長を経て2022年に定年退職。現在はフリーランスの編集者&ライター、さらには趣味が高じて模型誌の作例制作なども手掛ける。かつて所有していたクラシック・ミニや二輪は全て手放したが、1985年に個人売買で手に入れた中古のケーターハム・スーパーセブンだけは、40年近く経った今でも乗り続けている。
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