パーツを買ってDIYでクルマを組み立てる「キットカー」
「ドイツ人がクルマを発明し、フランス人がビジネスにし、イギリス人はそれで遊ぶ」なんて言われるように、クルマの分野でもイギリスは古くから趣味大国。そんなイギリスならではのクルマ趣味文化のひとつに、「キットカー」というジャンルがあります。だからキットカーと聞くとまずは本場のイギリスを思い起こすわけですが、もちろん彼の国だけの専売特許ではありません。日本でも、小さなクルマでおなじみの光岡自動車がキットカーを販売していたのです。
DIYと趣味の国イギリスでは立派なひとつのジャンルだった
「キットカー」というのは、その名の通りバラバラの状態で買ったクルマ1台分のパーツを、自分の手で組み立てるというもので、いわば原寸大のプラモデル。ユーザーにとってはパーツの状態で購入すれば自動車取得時の税金はかからず、しかも大好きなクルマを自分の手で組み立てられるという趣味的な魅力から、そしてメーカー側としては組み立て作業や、それに関わるさまざまなコストを省けることから、イギリスでは特にキットカーが自動車趣味のひとつのジャンルとして発達してきた。
DIYが当たり前のイギリスでは、自宅の電気工事から趣味のクルマいじりまで、なんでも自分でやる傾向が強い。他の国の人間が「アマチュアのあなたが自分でやるのは危険でははないですか?」と聞いても、「そんな危険なことを人に任せられるか!」というのが彼らのマインドだ。
キットフォームのクルマを販売するその多くは小規模のスポーツカー・メーカーで、例えば日本でも人気のケータハム「セブン」も、彼の地ではいまだにキットフォームでも販売されているし、あのロータスなども、かつては完成車とキットフォームのどちらも用意していた。
かつて日本でも熱心なファンがキットフォーム状態のケータハム セブンをイギリスから輸入して、自分の手で組み立てた話題が雑誌の記事で取り上げられたこともあったが、それはいささか特殊な例。そもそもわが国の法規では、このような「個人で組み上げたクルマ」はあくまでも「輸入したパーツの集合体」であって1台のクルマとは見なされず、ナンバーは取得できない。
日本では光岡自動車が90年代末からキットカーを市販していた
では自分の手で組み上げたクルマで公道をドライブすることは日本では見果てぬ夢かと言えば、じつはそうではない。厳格な法規に縛られている普通四輪車と異なり、車検や車庫証明が不要な「原付カー」は、持ち込み登録の簡単な審査でナンバーが取得できるのだ。
そのレギュレーションに沿って、国内10番目の自動車メーカーとして知られる光岡自動車がかつて市販していたのが、一連のキットカーだ。それまでにも50cc原付カーの完成車の開発・販売を手がけ、この分野で豊富なノウハウを持つ光岡が新たな試みとして、自分の手で組み立てるキットカーを発表したのは1998年のこと。
オリジナル・デザインの「K-1」、かのメッサーシュミット「KR200」(四輪だから「TG500タイガー」か)をモチーフにした「K-2」と矢継ぎ早に、塗装済みボディとパーツ一式がパッケージされたキットフォームの原付カーを発売。その第3作目となるのが、今回ご紹介する「K-3」だ。
わずか100台の「K-3」を入手して自分好みにカスタム
この光岡K-3のオーナーは都内在住の中村 清さん。この他にも多数の原付カーを所有している「マイクロカー・フリーク」である。じつは氏は20年ほど前に病に倒れその後遺症で右半身に麻痺が残るのだが、そんなことを微塵も感じさせないエネルギッシュなカー・ガイだ。氏の所有する他のクルマについては別の記事でもご紹介しているので、もしよろしければそちらの記事もご参照のほどを。
氏の所有する光岡K-3のデビューは2005年のこと。パワーユニットには同時代のホンダ製2ストローク50ccエンジンを流用しつつ、光岡独自のシャシー&足まわり。そこに1950年代のアラード「J2」あたりを連想させるFRPボディを載せている。
そのサイズは全長2500mm×全幅1280mmと、当然ながら原付カーの規格内に収まる小さなもので、もちろん1人乗り。当時限定100台が発売されたと言われるK-3は発売後すぐに完売となったそうで、中村さんもこの個体は名古屋在住の前オーナーから中古で譲り受けたという。
もともとは重機などの修理・メンテナンスを手がけるプロのメカニックという経歴を持つ中村さんは、このK-3入手後にフロントグリルやロールバー、フロントウインドウなどを自分の手で好みの形にカスタムするなどして楽しんでいる。
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クルマ好きの若者が手作りで仕上げたワンオフのスペシャルから始まったバックヤード・ビルダーが、やがてF1の世界チャンピオンにまで上り詰める……なんてロータスやクーパーのようなサクセス・ストーリーとは無縁だが、じつは日本でも中村さんをはじめとする粋人たちが、ささやかながらそんな「原寸大プラモデル趣味」を楽しんでいる様子を取材させていただき、すっかり幸せな気持ちになったのだった。