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ノンレストアの極上「ストラトス」が約1億円で落札! 走行距離たった1万2000キロの「ランチア・クラシケ」承認済みの個体でした

ノンレストアの極上「ストラトス」が約1億円で落札! 走行距離たった1万2000キロの「ランチア・クラシケ」承認済みの個体でした

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: 2024 Courtesy of RM Sotheby's

ノンレストアの美車なら、1億円オーバーだって当然の結果……?

ランチア ストラトスHFのロードカーの生産は、1974年のホモロゲーションを目指して、1972年7月1日に開始された。ところが1974年10月1日にグループ4のホモロゲーションが承認されるまでの段階で、ベルトーネが完成車として組み立てたのは147台に過ぎなかったという。

それでも、24カ月の間に規則を満たすだけのモノコックとボディパーツは作り上げてあり、それで何とかFIAを納得させ、ホモロゲ取得に至ったという記録が残っている。これらのパーツは1975年までにアセンブルされ、資料にもよるが491台から498台が製造されたというのが定説のようだ。

今回のRMサザビーズ「MONACO 2024」オークションに出品されたランチア ストラトスHFは323番目に製造されたもので、シャシーナンバー「001832」。ベルトーネによるボディナンバーは「397」で、1974年10月21日にベルトーネのグルリアスコ工場で内外装が仕立てられたのち、1975年1月9日にイタリア国内市場向けとして完成に至った。

そして、シチリア州都パレルモ在住のグイド・ビニャルディに新車として販売され、1975年2月21日に「PA 421048」のナンバープレートで登録されることになる。

ビニャルディは、2005年3月20日にボローニャのカルロ・プンジェッティに売却するまで、このクルマを30年間にわたって所有したという。さらに10年の時を経たのち、プジェッティは3人目のオーナーに売却し、その所有者は2019年にオークションに出品。この時の落札者が「スポルティーヴァ・コレクション」だった。つまりは、現在に至るまで4オーナーだったことになる。

いずれかの段階で、テールエンドのスポイラーとルーフ後端のウインドディフレクターを取り外し、ごく初期に生産されたストラトスHFと同じアピアランスとなっているものの、新車時代から現在に至るまで一切のレストアを受けていないまま、最高のコンディションを保っているとのことである。

そこで現オーナーは、入手の翌年にあたる2020年に「ランチア・クラシケ」による承認検査を受け、オリジナルのシャシーナンバーとエンジンナンバーが一致した「マッチングナンバー」であることを確認。その証明書フォルダーは、車両に添付されている。

製作から半世紀近くを経た今でもなお「アズーロ・キアーロ(ライトブルー)」の塗装は良好な状態を保っており、グラスファイバー製パネルとドアヒンジには、「397」のボディタグが一致。これはランチア本社発行のファクトリーレコードと一致する。

いっぽうインテリアでは、ブラックのアルカンターラシートがよく保たれているほか、「セレーノ(スカイブルー)」のカーペットやシートシェル、ダッシュボードも良好なコンディションにあるようだが、それは走行距離計に刻まれたマイレージが1万2000kmにも満たないことを思えば、むしろ当然のことかもしれない。

くわえてオリジナルのオーナーズマニュアル、イタリア語の小冊子、ランチア・クラシケのドキュメントも添付されているシャシーナンバー001832は、ストラトスHFのよきお手本としてコレクションにくわえられるべき1台。そんなキャッチコピーをうたいあげたRMサザビーズ欧州本社は、売り手である「スポルティーヴァ・コレクション」と協議した結果、このストラトスHFに、55万ユーロ~65万ユーロというエスティメート(推定落札価格)を設定することになった。

そして迎えた競売では、ビッド(入札)が順調に進み、59万ユーロ、邦貨換算約1億円まで値が上がったところで、競売人のハンマーが鳴り響いたのだ。

この落札価格は、近年におけるストラダーレ版ストラトスHFとしては、少しだけ高めともいえる。それは、ノンレストアの「サバイバー」でありながら、この美しいコンディションを維持していること。そして、その来歴が「ランチア・クラシケ」によって保証されているからにほかならないだろう。

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  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 1967年生まれ。かつてロールス・ロイス/ベントレー、フェラーリの日本総代理店だったコーンズ&カンパニー・リミテッド(現コーンズ・モーターズ)で営業・広報を務めたのちイタリアに渡る。帰国後は旧ブガッティ社日本事務所、都内のクラシックカー専門店などでの勤務を経て、2001年以降は自動車ライターおよび翻訳者として活動中。また「東京コンクール・デレガンス」「浅間ヒルクライム」などの自動車イベントでも立ち上げの段階から関与したほか、自動車博物館「ワクイミュージアム(埼玉県加須市)」では2008年の開館からキュレーションを担当している。
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