フェラーリの試作実験車がモナコに登場
アメリカやヨーロッパの一流オークションでは、自動車メーカーから何らかのかたちで放出された試作車両が出品される機会が、極めてレアながら時おり見られます。2024年5月10日から11日に、地中海に面した見本市会場「グリマルディ・フォーラム」を舞台として開催されたRMサザビーズ「MONACO」オークションでは、一見したところでは普通の市販モデルながら、じつはマラネッロで試作車として供用された歴史を持つというフェラーリ「400i」が出品されました。今回はその車両概要と、注目のオークション結果についてお伝えします。
3速AT+インジェクション、ゴージャス全振りのフェラーリとは?
1979年にデビューしたフェラーリ「400i」だが、その源流は7年前、1972年に正式発表された「365GT4 2+2」まで遡る。
365GT4 2+2はフェラーリの新しい2+2フォーマットを構築し、既存の「365GTB/4デイトナ」ベルリネッタのごときスーパースポーツ色の強いグラントゥリズモとは一線を画すとともに、1950〜60年代の「スーパーアメリカ」が体現していたゴージャスな世界観を、1970年代以降も継承することができた。
マラネッロ製2+2グランドツアラーは時代とともに進化し、1976年にはエンジンを4823ccに拡大した「400GT(5速MT)/400AT(3速AT)」へと発展。そして1979年には、フューエルインジェクションつきエンジンを搭載した「400i」としてアップデートされることになった。
400iに搭載された燃料噴射システムは、当時日本や北米カリフォルニア州から世界各国に広がりつつあった排気ガス規制に対応するために導入されたもの。基本は以前の「400」と同じ4.8Lの「ティーポF101」V型12気筒4カムシャフトエンジンながら、6連装のウェーバー社製サイドドラフト式キャブレターに代えて、独ボッシュ社製のKジェトロニックを搭載していた。
しかし、当時の社会情勢にしたがってインジェクションへと移行した結果、30psものパワーが犠牲になったものの、依然としてシンフォニーのような快音を響かせるV12エンジンは310psを発揮し、最高速度は240km/hに達した。
また、前任の400ATで市販フェラーリとしては初めて導入されたGM製3速「ターボ・ハイドラマティック」ATは400iでも組み合わされ、メーカーが意図したとおりのシームレスな快適性、そして圧倒的なスタイリッシュさを兼ね備えたこのモデルは、たとえば大陸横断のグランドツーリングを悠々とこなすには理想的な1台とうたわれていた。
実際、5速マニュアル仕様の422台に対し、日本を含む大部分のマーケットで400iのデフォルトとされたオートマチック仕様は883台が生産され、当時の顧客から人気が高かったことを物語っていたのだ。
フェラーリの文化遺産を手にするには、確たる信念と覚悟が必要
前述のとおり、フェラーリ400iが1979年のデビューであることは歴史的事実として周知されているが、RMサザビーズ「MONACO 2024」オークションに出品された個体は、同社のオークション公式ウェブカタログに「1975年式」と記されていた。
じつはこのシャシーナンバー「18415」は、1975年にまずは「365GT4 2+2」として、「アルジェント・メタリツァート(シルバーメタリック)」のボディカラーに「ベイジェ(ベージュ)」の本革インテリアで仕上げられた。
しかし、一般のカスタマーに引き渡されることなく、その後の発展型の開発およびテスト走行のため、マラネッロのファクトリーに保管されていたことが判明しているのだ。
かつてフェラーリの英国代理店だった「マラネッロ・コンセッショネアーズ」が運営している「マラネッロ・コンセッショネアーズ・アーカイブ」のオーソリティ、トニー・ウィリスが記した手紙によると、この個体には中途から3速ATと400用4.8Lエンジンが搭載され、当初はキャブレター、最終的に「エスペリアンツァ(Esperianza:実験)」車両として使用されていた時期にはフューエルインジェクションが組み合わされていたとのことである。
また、この時期には「スクーデリア・フェラーリ」のエースパイロットだった、故ニキ・ラウダがドライブしていたという記録も残されているようだ。
フェラーリの世界的権威であるマルセル・マッシーニ氏のレポートによると、このシャシーナンバー18415は試作車としての任務を終えたのち、1980年3月に初めて公道登録されたという。翌月にはようやく初のオーナーへと納車され、さらに6人のオーナーの手を経て、2002年にイタリアから輸出されたとのことである。
そののち、しばらくは表舞台から姿を消したが、2017年に再び姿を現し、直後にオーストラリア・タスマニアの愛好家が手に入れる。そして2020年に、今回のオークション出品者でもある現オーナーが入手するに至ったという。
今回のオークション出品に際しては多数の工場テスト資料が添付されたほか、GM製3速AT、エアコン、ミシュラン社製タイヤに対応したメートル法のアロイホイール、ルーフ側にヘッドユニットを配したパナソニック製ステレオシステム、後席用の灰皿、そしてなにより「No.00001」のエンジンナンバーが刻まれた燃料噴射エンジンなど、往時のヒストリーを物語るディテールが散見できる。
ただし、公式カタログにも「長期保管後、この車両は道路に戻る前に修復が必要であることにご注意ください」と記されているように、あくまでレストアベースというべきコンディションであることを考慮したのか、エスティメート(推定落札価格)は6万ユーロ~8万ユーロという、特異なヒストリーのあるフェラーリとしてはかなり安価な設定。くわえて、この競売においては最低落札価格を設定しない「Offered Without Reserve」とされた。
この「リザーヴなし」という出品スタイルは、金額を問わず確実に落札されることからオークション会場の雰囲気が盛り上がり、ビッド(入札)が進むことも期待できる。ただしそのいっぽうで、たとえビッドが出品者の希望に達するまで伸びなくても落札されてしまうというリスクも持ち合わせる。
そして迎えた競売では、「リザーヴなし」が裏目に出てしまった4万250ユーロ、日本円に換算すると約680万円で落札されることになった。
このハンマープライスだけを見れば、たしかに比較的安価であることは間違いないだろう。でも、このオークションでの落札は単なるスタート地点に過ぎないと思われる。
たとえば機関部を走行可能な状態に戻すいっぽう、内外装はそのまま「プリザーブド」、「サバイバー」として、歴史の積み重ねを尊重する。あるいは、マラネッロで「エスペリエンツァ」として使用されていた時代のコンディションまでフルレストアする。新オーナーの意向によって修復の目標はいろいろとあるだろうが、その前提条件として、フェラーリの歴史を物語る文化遺産を受け継いだ者には、次世代に正しいかたちで継承する責務が生ずる。あくまで筆者の私見ながら、そう思われるのだ。
もちろん、そのレストアを完遂するには「フェラーリ・クラシケ」かそれに準ずる識者の助力が必要となるのは自明の理であり、その過程では数千万円、あるいはそれ以上の費用を投資しなければならないかもしれない。
それでも、かつてニキ・ラウダも乗ったフェラーリの試作車を手に入れるというのは、「そういうこと」であると確信しているのである。