世界的コレクターのもとを渡り歩いた世界的名車
古今東西のクルマのなかでも最上級の名車のひとつであるメルセデス・ベンツ「300SLガルウイング」は、その圧倒的なカリスマ性と人気のわりには生産台数も比較的多いことから、現在のクラシックカーオークションにおいても出品の機会は非常に多いのが特徴です。2024年5月4日、名門「ボナムズ・オークション」社がF1マイアミGPの付帯イベントとして、レースと同じく「マイアミ・インターナショナル・オートドローム」で開催した「MIAMI」オークションでも、1台の素晴らしいガルウイングが姿を見せることになりました。
レースカーから発展した、スーパーカー前史時代のスーパーカー
メルセデス・ベンツの名作「300SLガルウイング」は、戦後の耐久レースを席巻していたフェラーリやジャガー、ランチアからFIA世界スポーツカー選手権を奪い取るために1952年に考案された、W194系300SLコンペティションクーペの直系の兄弟である。
メルセデス・ベンツの歴史家であるW.ロバート・ニッツケによると、同社の経営陣は戦前に成功を収めたグランプリレースへの復帰を望んでいたそうだが、当初は新しいシングルシーターを設計・開発する時間がなかったという。
その代わりに、チーフエンジニアのフリッツ・ナリンガーは、豪華な300「アデナウアー」シリーズに搭載されていた堅牢な直列6気筒SOHC 3Lエンジンを利用した、新しい2シータースポーツカーの製造を提案した。ところが、この6気筒エンジンとドライブトレインが比較的重かったため、シャシーは相対的に軽くする必要があった。
そこで、チューブラーシャシー設計の経験があったテスト部門のマネージャー、ルドルフ・ウーレンハウトは、配下のヨーゼフ・ミュラー技師とともに、ビッグ6を搭載できる極めて軽量(約70kg)かつ高剛性の鋼管スペースフレームを設計したものの、シャシーの剛性を損なうことなく従来のドアを取り付ける方法がなかった。この解決策はドアをルーフに切り込むことだったが、それはドアをルーフ側からヒンジで固定することを意味し、その結果として時代を超越した特徴的な「ガルウイング」デザインが誕生した。
そしてメルセデス・ベンツ300SLのデビュー戦となった1952年の「ミッレ・ミリア」では、カール・クリング/ルドルフ・カラッチオラの順で2位と4位を占めたのち、同年の「ル・マン24時間レース」では、ジャガー「Cタイプ」の失策も相まって、みごと1-2フィニッシュを果たした。
この段階で、300SLのロードゴーイングスポーツカーとしての資質を見抜いたのが、ニューヨークの有力な外国車輸入業者であったマックス・ホフマン。彼は、300SLレーシングカーの市販バージョンの製造をダイムラー・ベンツ社首脳陣に促した。
かくして「W198」と呼ばれる300SLガルウイングの生産バージョンは、1954年2月初旬の「ニューヨーク国際モータースポーツショー」で世界初公開。同年秋には、実際の生産が開始に至った。
この新しいクーペは、W194レーシングクーペとは外見やメカニズムも少しずつ異なる。なかでも特筆すべきは、画期的なボッシュ社製機械式直接燃料噴射装置を、市販車としては世界で初めて備えていたことだろう。
こうして1954年から1957年にかけて、合計1400台のガルウイングが熱心な購入者に納車されたのち、1957年にはエレガントで洗練された「300SLロードスター」が登場。このモデルは販売面でさらに成功を収め、1858台が生産されることになった。
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理想的コンディションのガルウイングは、2億5000万円オーバーで落札
このほどボナムズ・オークション社が自信たっぷりに競売のステージへと送り出したシャシーナンバー「6500176」は、1956年7月にカリフォルニア州ロス・ガトスに新車として納車された、米国仕様のガルウイングである。登録情報によると、この車両は当初「DB50ホワイト」のボディカラーに、赤い本革インテリアの組み合わせで仕上げられていた。
ここまでの段階で判明している出自をたどると、カリフォルニア州およびネバダ州で複数のオーナーを経たのち東海岸へ向かい、ニュージャージー州エングルウッドにあるサム&エミリー・マン夫妻の有名な世界的コレクションに加わった。
その過程で、このクルマはカリフォルニア州エスコンディードのクラシック・メルセデスのスペシャリスト「Hjeltnessレストレーション」社によって包括的なレストアを施された。その際、現在の「DB180シルバー」で高水準に仕上げられ、レストアされた赤いレザーのキャビンを引き立てている。
ペブルビーチ・コンクールで「ベスト・オブ・ショー」受賞歴もあるクラシックカー界の世界的名士、マン夫妻のもとで過ごしたのち、このSLは西海岸に戻される。そして近代スーパースポーツのコレクションで知られるウィリアム・“ビル”・フライシュマンのコレクションに加わり、約15年間にわたって彼のもとで保管された。さらに今回のオークション出品者である現オーナーは2022年にこのガルウイングを手に入れ、いわく「パリッとしたコスメティック」を維持しながら、この名車を存分に楽しんでいるという。
ところで、換装の正確な時期は定かでないが、オリジナルの直6エンジンは後期モデルにあたる300SLロードスター仕様のハイチューンユニットに載せ替えられている。またレストアの一環として、Hjeltness社はSL専用に開発した補助電動ファンとともに、エアコンディショナーを取り付けたのも特徴。このシステムはなかなかの冷風を吹き出すそうで、そのボディ形状ゆえに真夏に乗るのはかなり辛いガルウイング、とくに温暖な地域に住む人々にとってはありがたい装備といえよう。
くわえて、当時物のオーナーズマニュアルやワークショップマニュアル、純正ツールロール、西独ベッカー社製「ル・マン」ラジオ、伊「ナルディ」社製の純正オプションステアリングホイール、そして欠品しがちなフルアンダーボディの整流パンなど、付属品やオプション装着品も充実している。
不朽の名車、300SLガルウイング・クーペは、間違いなく「1950年代最高のスポーツカー」の称号を争う存在であり、事実上あらゆる自動車エンスージアストにとっても「史上最高の自動車のトップ10」に入る資格がある。デビュー当時から名だたるセレブリティたちに愛された300SLクーペは、こんにち、これまで生産されたスポーツカーの中でもっとも垂涎の的であり、コレクターカー趣味のベンチマークとなっている。
いっぽう、この美しく整備されたガルウイングは、見事なレストアを終えて以来、入念な手入れが施されており、「コロラド・グランド」や「カリフォルニア・ミッレ」をはじめとする名だたるツアーやラリー、ロードイベントに挑むための装備も整っている。
「このように良く整備された300SLに一度でも乗れば、なぜこの素晴らしいマシンが多くの世界的なコレクションで誇りを持たれているのかが理解できるだろう」。ボナムズ社はそんなキャッチコピーを添えて、この個体に150万ドル~175万ドルという高値安定志向を物語るエスティメート(推定落札価格)を設定した。
そして迎えた競売では、エスティメートの自信を裏づける162万4000ドル、日本円に換算すると約2億5500万円という、現在のマーケットにおける300SLガルウイングとしては、きわめて順当なプライスで落札されることになったのである。