ルノー5はいつの間にフランスでエモい存在になっていたのか?
しかし昨今の復活劇を見ていて、どうしても首をもたげてくる疑問だが、ルノー5(サンク)は一体いつからフランスで「セクシーな存在」になったのか?
というのも、初代サンクは映画『ラ・ブーム』でソフィー・マルソーのやたらさばけた祖母役だったドゥニーズ・グレイ、同じ頃に公開された『ギャルソン!』でブラッスリーの初老の給仕長を演じたイヴ・モンタンが乗っていたように、フランスの巷では年配者に選ばれやすい大衆車の代表格だった。サンク ターボIIが007の『ネバーセイ・ネバーアゲイン』に登場したり、アメリカ輸出仕様こと「ル・カー」が『特攻野郎Aチーム』で装甲車カスタムされていたのは、例外中の例外だったりする。21世紀になっても、『トランスポーター』でジェイソン・ステイサムがカーチェイスしたり、『92歳のパリジェンヌ』(原題:La dernière leçon)で尊厳死を選んだ老母が、長年連れ添ったクルマも初代サンク。つまり、そうした古くありふれた存在を象徴するクルマだったのだ。
ところが1984年登場のシュペールサンクとなると、そうはいかない。かのデザインは先日鬼籍に入ったマルチェロ・ガンディーニの手腕でフラッシュサーフェス化が図られ、1972年登場で(エンジン・レイアウトがルノー4から受け継がれたゆえに)縦置きサンクもしくはオリジナルR5と呼ばれる初代より、格段に洗練されていた。
しかも1980年代後半はフランスのポップ・カルチャー全盛期で、CMなどのクリエイティブも妙にハイレベルだったため、映画などで逆にシュペールサンクは小道具として避けられる存在になってしまった。庶民のアシ車に当代きってのスーパーカー・デザイナーの手腕を活用する、そんな公団ルノーのセンスが炸裂していたのだ。「スノッブ」が蔑称ではなくポジティブに捉えられるようになったのもこの頃。その空気感を1992年からルノー・イタリア次いでフランス本社でインターンをしていたルカ・デ・メオ現社長が知らないはずもないだろう。ちなみ彼はその後、トヨタ・ヨーロッパを経由してフィアットに転籍、「500」の復活を主導した人物だ。
というわけで、初代サンクのエモさとシュペールサンクのシックぶりを両獲りした、ルノー 5 E-テックには、令和風に言えば「期待しかない」!