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フェチれるルノー「5 E-テック」のローラン・ギャロス仕様のシートに首ったけ! 初代「サンク」のエモさが存分に注入されていました【クルマdeフェティシズム】

新型EVのルノー「5 E-TECHエレクトリック」の「ローラン・ギャロス」仕様

微より大なるは無し! 偏愛視線でフェチれるアノ車のココ

よく「神は細部に宿る」とか「神ってる」と言いますが、やおよろずの神をあちこちに見出して情緒的に神格化していると「木を見て森を見ない」シンドロームに陥ることも。むしろクルマの場合、入念に仕上げられたディティールは、豪華一点主義や魂を込めんがためにトップアップされたのではなく、全体の成り立ちや存在理由そのものを語ってしまう、そんな雄弁さを秘めているものです。今回は偏愛視線でフェチれるあのクルマのココに焦点を当てるべく、最新EV版ルノー「5 E-テック」のシートについて語ります。

最新EV版「E-テック」のシートにサンク ターボとバカラの影を見た

2024年2月に欧州で発表され、EVとしていよいよ復活を遂げることになったルノー「5(サンク) E-テック」。5月になってテニスの全仏オープンに合わせ、ローラン・ギャロス版が発表された。

平成のクルマ好きにはそう、「ローラン・ギャロス」の名を冠した特別仕様車といえばプジョーのハッチバックだったはずだが、2年前から全仏オープンの公式パートナーはルノーで、選手や大会関係者を運ぶシャトル車両の88%がEVなのだとか。

5 E-テック ローラン・ギャロス仕様のインテリア画像から、すぐさまフラッシュバック気味に思い出されるのは、ルノー「5バカラ」のシートだ。1980年代後半、シュペールサンクのハイグレード「バカラ」と「GTX」のシートは、スモールカーらしからぬハイエンド仕立てで、とくに前者は後者のファブリックに対し、上位機種の「21(ヴァンテアン)」や「25(ヴァンサンク)」にも共通するギャザーを寄せたような、今日では見かけないブルジョワ風の革シート内装が奢られていた。

しかも、これらのシートの凄味は見た目が高級だっただけではない。シート内部でクッションとなるスプリングを、座面から背面までわざわざ放射状に配して、体重を巧みに分散させては極上のホールド感と快適性を確保していたのだ。ステアリングやスイッチ類は手首から先が触れるのみだが、シートは身体の広い範囲を覆うものであるがゆえ、スモールカーでも徹底的にコストをかける。それが当時のルノー、ときは昭和でフランス第5共和国はミッテラン政権がそろそろ2期目、まだ民営化されていなかった公団ルノー時代の話だ。

現在の5 E-テック ローラン・ギャロス仕様のシートは革&ファブリックのコンビだが、シートの形状はルノー サンク ターボIを彷彿とさせつつ、クッション厚など視覚的にはバカラ~GTXのシートにかなり通じるところがある。とはいえクッションはスプリングではなく、今どきらしい、異なる柔らかさで適材適所に配置したウレタンフォームだろう。

ルノー5はいつの間にフランスでエモい存在になっていたのか?

しかし昨今の復活劇を見ていて、どうしても首をもたげてくる疑問だが、ルノー5(サンク)は一体いつからフランスで「セクシーな存在」になったのか? 

というのも、初代サンクは映画『ラ・ブーム』でソフィー・マルソーのやたらさばけた祖母役だったドゥニーズ・グレイ、同じ頃に公開された『ギャルソン!』でブラッスリーの初老の給仕長を演じたイヴ・モンタンが乗っていたように、フランスの巷では年配者に選ばれやすい大衆車の代表格だった。サンク ターボIIが007の『ネバーセイ・ネバーアゲイン』に登場したり、アメリカ輸出仕様こと「ル・カー」が『特攻野郎Aチーム』で装甲車カスタムされていたのは、例外中の例外だったりする。21世紀になっても、『トランスポーター』でジェイソン・ステイサムがカーチェイスしたり、『92歳のパリジェンヌ』(原題:La dernière leçon)で尊厳死を選んだ老母が、長年連れ添ったクルマも初代サンク。つまり、そうした古くありふれた存在を象徴するクルマだったのだ。

ところが1984年登場のシュペールサンクとなると、そうはいかない。かのデザインは先日鬼籍に入ったマルチェロ・ガンディーニの手腕でフラッシュサーフェス化が図られ、1972年登場で(エンジン・レイアウトがルノー4から受け継がれたゆえに)縦置きサンクもしくはオリジナルR5と呼ばれる初代より、格段に洗練されていた。

しかも1980年代後半はフランスのポップ・カルチャー全盛期で、CMなどのクリエイティブも妙にハイレベルだったため、映画などで逆にシュペールサンクは小道具として避けられる存在になってしまった。庶民のアシ車に当代きってのスーパーカー・デザイナーの手腕を活用する、そんな公団ルノーのセンスが炸裂していたのだ。「スノッブ」が蔑称ではなくポジティブに捉えられるようになったのもこの頃。その空気感を1992年からルノー・イタリア次いでフランス本社でインターンをしていたルカ・デ・メオ現社長が知らないはずもないだろう。ちなみ彼はその後、トヨタ・ヨーロッパを経由してフィアットに転籍、「500」の復活を主導した人物だ。

というわけで、初代サンクのエモさとシュペールサンクのシックぶりを両獲りした、ルノー 5 E-テックには、令和風に言えば「期待しかない」!

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