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ロールス・ロイス「40/50 H.P.」が「シルバーゴースト」に改名した理由は?「世界最高のクルマ」は連続走行2万4000キロで世界新記録も樹立

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TEXT: AMW  PHOTO: Rolls-Royce Motor Cars

  • ロールス・ロイス シルバーゴースト:1913年に初開催となったスペインGPで勝利を収めた
  • ロールス・ロイス シルバーゴースト:ロールス・ロイスのロンドン ショールームの外に停まっている3台のシルバーゴースト
  • ロールス・ロイス シルバーゴースト:イタリアのポルドイ峠で除雪を待っているシーン
  • 1863年に5人兄弟の末っ子として生まれたヘンリー・ロイス
  • ロンドンからエジンバラまでの往復1000マイル・トライアルを企画したクロード・ジョンソン
  • 1922年に撮影された4-G-IIとヘンリー・ロイス
  • ヘンリー・ロイスと実験用ロールス・ロイス車 6EX
  • ロールス・ロイス シルバーゴースト:1911年「ロンドンからエディンバラまでのトップギアトライアル」で、アーネスト・ハイブスがハンドルを握る
  • ロールス・ロイス シルバーゴースト:2021年に110年前と同じようにトップギアで固定され、ロンドンとエディンバラ間の記録的な走行を再現した
  • ロールス・ロイス シルバーゴースト:2013年にアルパイン・トライアルを走行

1906年に発表されたシルバーゴーストの凄さとは

ロールス・ロイス創業120周年を記念して、1906年に「40/50 H.P.」として発表された「シルバーゴースト」を紹介します。1906年に発表されたこのクルマはロールス・ロイスが「世界最高のクルマ」と賛辞を贈られた最初のモデルであり、商業的にも大成功を収めました。ロールス・ロイスの初期モデルの中で最大の現存台数を誇るシルバーゴーストの生い立ちを見ていきます。

「世界最高のクルマ」と言われた最初のモデル

1904年以来、ロールス・ロイスが冠してきたクルマの中で「シルバーゴースト」ほど名高く、重要で、刺激的で、永久的なものはないだろう。1906年に「40/50 H.P.」として発表されたこのモデルは、ロールス・ロイスが「世界最高のクルマ」という賛辞を贈られた最初のモデルである。当時の過酷な公道試験をクリアし、商業的にも大成功を収めて18年間もの間に英国と米国で8000台近く製造された。

創業からわずか2年しか経っていないにもかかわらずロールス・ロイス車の需要は高く、ラインアップは当初の2気筒10馬力から3気筒15馬力、4気筒20馬力、6気筒30馬力へと急速に拡大した。ヘンリー・ロイスは史上初のV8エンジン車も製造しており、3.5L エンジンは英国で施行されていた時速20マイル(約32km/h)の制限速度を下回るように制御されていたため、「リーガリミット」などの異名を持っていた。これまで以上に細分化されたカスタマーの獲得を迫られた高級車セクター全体の傾向を反映し、新型モデルを発表したのだった。

しかし、モデル間での部品の互換性があまりなかったため、製造上の大きな問題となった。このため、生産シリーズ期間中にばらつきが生じ、完全に同一のクルマはほんのひと握りしかないこともあった。マネージング・ディレクターのクロード・ジョンソンは抜本的な改革が必要だと判断し、単一モデルの生産に全精力を傾けることを提案した。チャールズ・ロールズはクロード・ジョンソンの提案に同意したが、すでにロールス・ロイスが最高の自動車として名声を得ていた市場のトップエンドに位置づけるべきだと主張した。

ヘンリー・ロイスが6気筒エンジンの振動問題を解消

ヘンリー・ロイスは単一モデルへアプローチする重要性を見抜き、まったく新しいモデルの40/50 H.P.を新たに生産する決断をした。40/50H.P.は、当時のロールス・ロイスの全モデルと同様、走るための一連の装置を組み込んだローリングシャシーであり、その上に顧客が個別にコーチビルダーにボディワークを依頼するものだった。その心臓部には、新しい6気筒7036ccエンジンが搭載されていた(1910年からは7428ccに容量が拡大)。

ヘンリー・ロイスの設計により、エンジンは3気筒ずつの2つのユニットに分割され、クランクシャフトに搭載されたハーモニック・バイブレーション・ダンパー(現代のメーカーでも採用されている機能)と組み合わせることで、それまで6気筒エンジンを悩ませていた共振周波数による振動問題を解消した。この技術的達成だけでも、歴史的に重要な自動車と評価するには十分だっただろう。しかし、40/50 H.P.の不滅を保証したのは、クロード・ジョンソンの天才的なマーケティングだった。

40/50 H.P.の命名の由来とは

当時、新車の自動車税は馬力によって決められ、高価格の自動車は低価格の自動車よりも多く税金を徴収されることになった。これらの税計算に公平な基準を提供するために、王立自動車クラブ(RAC)は「課税馬力」を導入した。それは実際のエンジン出力からではなく、3つのエンジン測定値に基づく難解な数式によって導き出されたもので、一般的な単位で表現するとより難解なものとなった。

すなわち、想定機械効率75%、平均シリンダー圧力90ポンド/平方インチ、平均ピストン速度1000フィート/分の組み合わせである。これらはエンジンごとに異なるため、実際に得られる数値はほとんど恣意的なものだったが、メーカーや官僚はこの数字を使用することができた。この計算式を使ってロールス・ロイスは王立自動車クラブから40馬力として課税されたが、実際には50馬力だった。そのため「40/50 H.P.」という呼称が与えられ、顧客はモデル名から支払うべき税金の水準と期待できるパワーの両方を知ることができた。

ヘンリー・ロイスはこの命名におそらく納得していたが、クロード・ジョンソンはこれが差別化であり、共感、ロマンス、魅力に欠け、正しく表現するものではないと考えていた。そのため初期に生産された50台ほどには、異なる名前が付けられた。しかし、あるときクロード・ジョンソンは12番目のシャシーナンバー60551を見た瞬間に静粛性となめらかな乗り心地に敬意を表して「シルバーゴースト」と名付けた。シルバーに塗装され、銀メッキの金具で飾られたこのクルマは多くのモーターショーに展示された。

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