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NSXを愛と引き換えに手放す? 迷ったら「勇者ヒンメルならそうした」by『葬送のフリーレン』の精神で前に進むことが大事です【真夜中の自由研究】

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TEXT: AMW 樋口佳子(HIGUCHI Yoshiko)  PHOTO: 山田鐘人・アベツカサ/小学館/American Honda Motor

イタいと思われようが、愛するモノには常に全力

エコや環境性能ばかりが重視される昨今、スポーツカーなんてダサい、時代遅れだという批判がないわけではない。だから、この事件が起きたときにまたスポーツカーが批判されて、下手したらNSXまで巻き添えを喰らっていろいろ言われるのだろうなと落胆していた。ところが、蓋を開けてみたらSNS上に限っては、旧車乗りの気持ちに寄り添う意見があふれていた。まだまだクルマ好き界隈は熱いようだ。

世間ではクルマが好きだと言うとオタクと思われることはある(自認はNSX推しにすぎないのだけれど)。令和になっても、推し活ブームが起きようがオタクには、ダサいとかイタいと言ってもいいという風潮は残っているような気がする。そもそも、この事件の根底にあるのはそこではないかとさえ思えるのだ。個人が大切にしているものや好きなものをいとも簡単に手放せと言ったり、イタいと批判するのは、その対象物に対しても軽視していることにくわえ、その相手も尊重していないことの表れではないのだろうか。

この事件の場合、自分軸の「自分ならどうする」ではなく、他人軸の「相手が望むからそうする」と、軸を他人に委ねてしまった結果の悲劇だと思われてならない。もし自分軸で判断していたら愛車は手放さなかったのではないか。つまりその結果がこれまでの“20年”だったのだから。結局、本人は自分軸で判断して手放したように見えても、じつは他人軸で判断をくだした結果、愛車を手放し、この事件は起きてしまったようにも思えるのだ。そこに気づけなかった本人の責任と言えばそれまでかもしれないが。しかしこれは、どんな趣味嗜好についても同じで、イタいと思われようが「ひとがどう思うか」という他人軸は決して自分を幸せにはしないのだ。

自分が自分を裏切る結果、悲劇を生む。ならば心に「ヒンメル」を飼おう

ほとんどの場合、自分で自分を裏切っていることには気づけないし、自分の行動の結果が失望に終わり、前に進めず誤った判断をしそうなときはどうしたらいいのだろうか。そう考えたとき、ふと頭に浮かんだのは「勇者ヒンメルならそうした」というセリフだ。漫画『葬送のフリーレン』で主人公のフリーレンが、なぜそう行動したのかという問いに対して放つセリフだ。ヒンメルは魔物を倒した有名な勇者で、フリーレンの心にさまざまな影響を与えながらともに旅をした登場人物だ。そして最近、台湾でナイフを持った通り魔を取り押さえた男性が、このセリフをもとに勇敢な行動を取ったのだと発言したことで話題となった。

「自身の心に迷いがあったとき、自分らしさというものが邪魔をするとき、それでも前に進むというのは難しいことである。それでも、勇者ヒンメルだったらきっと前へ進む、そう思うだけで迷いを断ち切ることができる」というヒンメルの行動規範がもとになっており、「勇者ヒンメルならそうする」というフレーズがそれを表しているのだ。

べつにクルマと関係ないじゃん? と思われるかもしれないが、頭にこの言葉を留めて、心にヒンメルを飼っていれば、思い通りにいかない世界にキレて道を踏み外すことはないのかもしれない。クルマの運転でイライラしたとき、カッとなってムキになりそうなとき、理不尽な言葉を投げかけられたときに思い出してみてはいかがだろう。人生を前に進めることができるかもしれない。

前に進む。クルマの運転と同じで、前に進むことが大事なのだ。

>>>【真夜中の自由研究】はこちらから

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